ととのえる①~整えると調える

ととのえる①~整えると調える

波動とか、波長とか、今時のスピ系や浄化健康系?量子力学系?の人たちの言っているアレコレについては、本当に私は無知、また興味がないということが前提ですし、最終的に私の書いていることが、まさにそれじゃん!と言われたとしても、へぇ、くらいのことでして、洞の領域から思考が出ることがない、というのを前置きにしてから本題に。

洞の考え方の中にも、「ととのえる」というものが大切にされています。
基本三法の中での「断捨理氣」「財運(おたから)法」「えにし法」があり、それぞれの法が個別で成立するためにも、この三つが同時に成立するにも、それぞれに「ととのえ」の氣が必要であり、その氣が通力となったとき、人生のモノコトは全て「ととのう」とされています。

あえて、「ととのえる」をすべてひらがなにしたのにも理由があります。
現代においては「ととのえる」というのは整理整頓の「整える」が使われることが多いのですが、
洞の考えでの「整える」は、

~であるべし。
~であるべき。
~であるほうが良い。
~であることが正しい。

という何かしら後天的にその人自身が決めた固定概念の姿カタチであったりします。
洞の「整える」は、状況状態的に、かなり踏み込んだ先の作業やカタチ、段階として考えます。
何かしらエキスパート・プロをやっていく上で必要なストイックな作業やレベルの際に使います。

洞がより手前の段階で大切に扱う「ととのえる」は、「調える」という漢字を使います。
全ておいてモノコトは「調律」と捉えていて、固定的な姿カタチよりも、まずは、

自分の肉体と自分の精神的内面の調律。
それをある一定の条件を満たし得た上での、自分そのものと周囲環境との調律。

という風に意識づけをしていくのです。
感覚的に察知力のある方はこれを伝えるだけで、「あ~~、なるほど。」となると思います。
簡単にいえば、

四角四面の決め事や決まり事、先入観によるカタチが、自分にあうあわないを決めてはめる前に、そもそもの自分はどうなの?を先に見るわけです。

自分自身で自分を理解していく「調える」過程の中で、自分にとって必要な「整える」を発展させていくと、その道のプロである人や、それを目指していく人にとっては、ある種の(他者から見て)ストイックな行動の選択の日々となり、その積み重ねなどになり、やがて達成していく(整う)ことになるわけです。

まずは自分の中と外の環境、状況に対して、都度都度、感覚を「調えて」いき、やがてその行動選択に必要な条件として、考えや生活習慣、生活環境、行動環境などを「整えて」いく、ということが順序としてあるのです。

「ととのえる」のそれぞれの詳細は、追ってまた合間合間に記事にしていきます。

 

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