日々の作法の中で、やはり体や心の調子が優れない状態になることもあります。
そこは年齢を言い訳にしたくはありませんが、現実的なこととして齢50の壁というのはなかなかに厄介であって、男女ともにホルモンバランスが大きく変化をする予兆であったり、本格的に加速する手前の症状だったりします。
特に女性の月周りのバランスから言えば、元気な時は一か月のうち3~5日あれば良しと言われるほどです。
洞のばあちゃんたちも持ち回り、自分たちの周期に添って互いを助け合って役割分担をし、作法を旬に回していたものです。
ですが残念なことに、洞の呪術をやれるのは私だけということになりますので、独りでこなすにはさすがに心身堪えることもありますので、塩梅調整しながら作法の数や内容を精査して厳修しております。
作法中の壁に当たるときは、どうにもこうにも跳ね返されることもあり、心やましく、ついついとラクチンを選ぼうとしたがる自分が出てきます。
今でこそ年齢重ねているおかげで、そのようなラクチン自分の気配が出てきて消えそうにないな、と感じたときは、あえてピタリと作法そのものを止めておりますが、若い時ほど、なぜかラクチンを寄せてくる自分を諦めきれずに退きません。
その自分との押し問答が余計で無駄な時間と体力をかけてしまい、私自身を疲弊させることになっていました。
時間の経過共にこれが解決してきたのは、単純に押し問答するほどの体力気力が若い時のようになくなってきたからだろうこともありますが、純粋に余計なことを考えずに「ちゃんとやる」を選ぶ決断力のようなものが養われたからだと思っています。
そして同時に、押し問答をしていれば当然のように祈祷の通りはないわけですから、作法を修できるはずもなく、むしろそれにおかげ様を付き合わせるのですから、この無礼千万な行為を長く続けるわけにもいきません。
現在は兎にも角にも、このラクチンしたい気持ちがわいて消える気配が遠い場合は、祈祷作法をピタリとまずは止め、止めたことをおかげ様へと詫び、仕切り直しのための申請をして後、キッチリとモノコト区切る如く祀場から退席します。
そして氣の入れ直しを最初からやり直すか、もしくは完全に一旦リセット(休憩)するか。しっかりとココだけは脳内働かせて決めるのです。
決めたら今度こそ、余計なことを考えずに選択したことを貫き行動を締める。
こうしてひとつひとつを氣締めていくほかありません。
私自身がとても不器用なタイプですから、何をしても慣れるまでに、出来上がるまでに、人の十倍、二十倍と手間暇時間をかけなくてはなりません。
無駄に押し問答をしてエゴを出しても、結果的に何も良いことはないというのも痛いほど経験しました。
子供の頃、ばあちゃんたちが、
「老眼が進んでくるといろいろと景色がハッキリ見えんようになる。
そしたら今まで観えんようにしてた自分の心の根が嫌でも見えるようになるんやで。
身体のどっかに不自由が出だすと、いやでも帳尻合わせるみたいに心の目が自分の嫌なところば見せてくれるようになっとよ。
見たくない、見たくない、言うても、見せてくるから顔をよそに向けれんが。
ソッポ向いても、寝てからも追っかけてくるけんが、諦めて大人しゅうちゃんとやるんが一番じゃ。」
競馬新聞片手に煙管を燻らせながら、一様に不敵に笑い声を響かせていた様子が思いだされます。
これまでのばあちゃんたちが言ってたことは、ほぼほぼ路から外れてはいませんので、おとなしく言うことに添った方が無難なのでしょう。
ようやくと最近は諦めとの折り合い、兼ね合いが両目で観れるようになってきつつあるかな?とは思っています。
ですが齢50の壁を抱えているにも関わらず、なかなか、なかなか、素直にはまだまだなれず往生際の悪い子供な私です。
きっとそんな私をどこか斜めに面白がってくれていることを願ってやみません(笑)