心を遺すことを決めた今日。

心を遺すことを決めた今日。

お盆を迎え、沢山のばあちゃんたちの御霊と共に過ごす日が始まりました。
月刊ムー9月号別冊として、ばあちゃんたちの痕跡をひとつ遺せたことが嬉しく、
各所方面も含め、様々にご報告と決意に慌ただしい時間を過ごしています。

月刊ムーへのこれまでの掲載については、
某寺院・H師僧からのお声掛けがなければ本田さんに行きつかず、
そして本田さんが動いてくださらなければ、月刊ムーに行きつかず、
月刊ムーのご担当者様を含め、様々なご意見の中でご了解をしてくださった方々、
これまでの私を支えてくださった方々のお心・リクエストがあって現実に適っています。

これまでに何度となく、出版のお話しを頂いていたにも関わらず、
何度もお受けしようと思いながらもそれが前に進めずの私でした。
現状まだ進めていない状態ですが、今回のこの別冊を作っていただけたことで、
ばあちゃんたちの想い出がより強く鮮明に思い出され、同時に何を遺して何を消えて良しとしたのかを改めて脳裏に刻み直しています。
ばあちゃんたちが共通に言ってたことは、

『術は消えてもよかけん、心はのこせ。
心はどんなカタチでもよかけん、人の生きる力になると。
術があっても、心がないと意味がなかけんね。
あんたが生きるのに術で食うのはなんぼでもしてよか。
けんど、人様の心だけは喰らうたらいかんぞ。
絶対に、いかんぞ。』

この意味が今やっと、本当の意味で腑に入ってきています。
私が書きのこしたかったことの芯がやっと、やっとここにきて掘り返せました。

私がどんな環境の中でも必ず思い助けてくれる方が存在し、
その方々が私のために喜び、涙をし、共に怒りを持ち、理のある心に慈しみを持って、
支えてくれることへの感謝をもう一度思い返させてくれているこの日を忘れないように、
真心を喰らってしまわないように生きねば、生ききることを約束しなければと。
そして色んなご意見や思想がある中ではありますが、
ばあちゃんたちが私の中に遺してくれた心をどのようなカタチであっても、
生涯をかけて遺す根をしっかりと作り上げていくことを決めなおしました。

洞がどうして伝わらない状況になったのか。
ばあちゃんたちの存在というものがどうして隠されるかのように、いなかった人になっているのか。
差別や区別、時代の様々な事情を全部全部ひっくるめて、その部分をしっかりと書きのこしていきたいと思います。
術は消えども、洞が亡くなれども、ばあちゃんたちの命は確かにそこにあったことを必ず遺すこと。

一番近いところで支えてくれる方々からの心にしっかりと答えるためにも、
私は遺すことをあらためて決めました。
この思いがただの想いにならないように、カタチに仕上げていきます。

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