ばあさま・みがく

ばあさま・みがく

きりんばあさまたちのことば。

魂はいつでもどこでも
美しく清らかで完璧じゃわぃ。

肉体を持った生まれ時からが、
人間の、人の心の穢れはじまりばい。

生きるをすればするほど、
人は魂の想いと裏腹にケガレを身に着けるとよ。
じゃけん、日ごろから心がけんといかんとは、
人間の行いと心のありようを振り返り、己をば磨かんといかんと。

それの努力から目をそらしてを誤魔化すとに
魂の磨きとか、成長をさせるとか、
わけわからんもんをいつの世も持ち出しよっとよ。

魂(たま)を気にする前に、己の霊(たま・心)を気にせんとな。
同じことやと一緒にしたらいかん。
自分自身を磨きんしゃい。

人は生まれる前から尊く美しい。
けれど親の腹の中に根付くための瞬間(受精~着床~出産)から死ぬまで、様々な事象に影響を受けます。
その影響を受けない人は一切いません。それが生きるということであり、人生です。
だからこそ、人は様々なケガレを身に纏うのです。
そのケガレが心や体、人生の何かしらに大きく影響を与えているのですから、
人生を生き続ける限り、それらを向き合い折り合いをつけた考え方や感じ方を身に着ける必要があります。
昨今はそれら人生の向き合いを耳触りの良い言葉や何かしらでごまかす傾向が多々見受けられますが、
それらを実行すればするほど、本来の自分の在り方や生き方からは大きくずれてしまうこともあります。

何かしらを難しく考えたり、何か付け足したりすることではなく、
ただ純粋に、日常の暮らしを丁寧に生き、丁寧にかかわることが大切なのだと思うのです。
そのうえで、自分磨きというものをどうとらえるのか、というのもやはり何か特別なモノコトを付け足すことではないのです。
ケガレというものを恐れるのではなく、あるものを受け入れ、一緒に生きていくことが大切です。
あるものをないものにはできないというのが、嶽啓道の教えでもあります。
そして一緒に生きていくものだからこそ、丁寧に手当てをすることを意識するのです。
年齢が重ねれば重ねるほど、若い時よりもこの手間を惜しんではならないのでしょう。

ケガレとは、
・気力が削れている。疲れている。
・肉体が壊れている。疲れている。
・心が痛んでいる。傷んでいる。弱いっている。疲れている。
・衛生的に汚れている。
など。

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