人は常に欠けている(4)

人は常に欠けている(4)

パートナーを呼び寄せ、友人は私の前でパートナーとハグをして、キスをし、
手とつなぎあいながら紹介をしてくれた。
好きあっているパートナーとのやり取りは当たり前の風景なのだろうが、
美人同士なので、無駄にドキドキしつつ目と心の保養にさせてもらった。

「事故にあってから本当に辛いことがいっぱいだったけど、
 直前にあなたに言われた言葉が私を助けてくれたのよ。
 あの頃、結婚に迷って、仕事に迷って、苦しかった時、あなたが言ってくれたの。
 
 “  いつだって、あきらめてもいいし、あきらめなくてもいい。
  どっちゃでも好きにしたらいいがね。
  Kが後悔しても後悔しなくても、人生どっちゃでもよかとよ。
  自分が本気でこうしたいって思うことじゃったら、
  いつでも応援するけんね ”

 って。 
 だから私は、やり切れるところまでやってやろう!って思ったのよ。
 そしたら今日までこんな風に生きちゃった♡」

わたしはとんでもなく偉そうに何か言うてたらしい。
けれど、素直にその言葉を頼りに生き抜いてくれたことうれしかった。
どうやら隣の青い目のパートナーはその話を知っているらしくて、拙い日本語でお礼を言ってくれた。
王子様系は何をしてもかっこいいから、心と目のやり場に困った。

「これからもできないことがいっぱいの人生かもしれないけど、
 たくさん、いろんなことをあきらめなくちゃいけないのかもしれないけど、
 どうせ年取って老人になったらできないことが増えるんだろうから、
 今更よね、と思って生きてるのよ。
 その分、楽しんでやるぞー!って毎日、面白いこと、楽しいことをどんな小さなことでも探してるわ。」

事故前に私が見た友人ではない、素敵な笑顔がそこにあった。
以前の友人は今と変わらず美人ではあったけれども、どこかいつもあきらめている顔で生きていた。
どんな悩みと苦しみがあったのかはわからなったけど、どんなにいろんなことに恵まれていても、どこかいつも寂しそうだった。
けれど目の前の友人は、その景色がどこだったかもわからないくらいに幸せな笑顔だ。
そして友人とそのパートナーの見送りを受けながら、私はそれから数日、二人の幸せの温度を味わいながら過ごした。

あのホテルで会ってからさらに2年が経った頃、
友人のメールアドレスが珍しく早朝、メールボックスの中に入ってきた。
見慣れない英語が並ぶ。
あの時のパートナーからだ。
友人は闘病の末、旅立ったということだった。
事故前からの持病があったこと、事故の後遺症のこと。
私と会った時、すでに病魔は友人を蝕んでいたようで、あの華奢な体はそれが理由だったようだ。
最期まで友人は笑顔で過ごし、新しい家族とともに愛のある時間を過ごせたそうだ。
その様子がわかる写真がいくつか添付されていた。
そして、メールの文面最後には、友人からの私に向けた言葉とともに、
パートナーからはシンプルながらも私を気遣ってくれる心のこもった言葉があった。
愛しい人を亡くしながらもその友人である私を気遣うのはどれほどだろう。
友人はいつも足りない、欠けている人生だと言っていたけれど、
そんな過去の「彼」はもうどこにもいなかった。
写真の中にはパートナーとその家族の笑顔に囲まれた「彼女」がいた。

友人である「彼女」は、ちゃんとそこにいて、命のすべてを全うした。
これからも私の中に生き続け、命のすべてを見せてくれるのだろう。
あなたという人間の愛にこれらも私は助けてもらうのだろう。
あなたが教えてくれたスコーンという食べ物は、
私のフェイバリットフードのひとつになりました。
あなたという存在が私には一生涯の宝ものとなりました。
ありがとう。また会いましょう。

 

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