疲れたら休んでもいい。

疲れたら休んでもいい。

秋分を超えてもまだまだ暑さが身に沁みますね。
先日、とある関係の勉強で後輩育成のために暑さにめげずに外に出て向かいました。
久しぶりに顔を合わせる面々の無事を確認していたところ、
一人の女性後輩が顔色悪くフラフラしているではないですか。
彼女は少々不器用なタイプで、何をするにも他の人よりも練習を要するタイプです。
ですが身に着けてしまえば、誰よりも信用信頼できる結果が出せる人でもありますので、
各処方面では必ず彼女のような人は重宝されますし、大事にされることが多々あります。
ですが、この時ばかりはちょっと何かが行き過ぎているような気配があり、
夏の暑さも手伝ってか、見過ごせないほどの疲労を身に纏っていました。
事情を聴いてみると、どうやら現在の仕事では相当にハイスペックなスキルを求められるらしく、
それを身に着けるために相当に苦労しているとのこと。
自宅に帰ってからも睡眠を削ってでもそれらの習得のために頑張っているようです。
そしてこの春からの環境変化も併せてその努力と労力が疲労となって積み重なって、
スキルの獲得まであと少しだったにもかかわらず、つい先日は大きな失敗をして周りに迷惑をかけてしまったとのことでした。
決められた期間になんとしても習得しなければならないのにもかかわらず、
それらが難しいうえに失敗まで重ねたことに肉体的にも精神的にもギリギリになってしまったとのこと。
責任感の強い彼女のいいところと悪いところが一気に噴き出したような、そんな事案でした。

当然のように、今回のような体を動かす勉強会には参加させない代わりに、
とにもかくにも控室でしっかりと昼寝をしてもらうことを命じ、勉強会が終わってからあらためて彼女とは話すことにしました。
彼女は最後まで渋るので、寝床を用意して監視されながら眠るのと、自発的に眠るのどちらかを選択してもらいました。
なんだかんだ文句を言っていたようにはありますが、横になって私に頭を一撫で二撫でされているうちに、
秒で寝付いてしまうのですから相当に疲れていたのでしょう(笑)
勉強会の音に気づかないほど彼女は熟睡したようで、すべてが終わり面々のほとんどが帰宅した頃合いに目を覚ましました。
その時には最初とは打って変わって顔色も戻っていたので、こちらとしても一安心です。
少しばかりの当たり前の話をして、お盆期間中の3分の2はとにかく休むことを中心にし、残りの3分の1を勉強の時間にすることを課題にしました。

何事もそうですが、やはり限度というものが人間の体にはあるということです。
どこまでが限度なのか、挑戦することは悪いことではありませんが、
分を見誤ったまま我のままに突き進み、そこに責任というものを前に起きすぎるのも、やはり考えモノなのです。
きっと彼女はやり遂げたかったからこそ、頑張ったのでしょう。
そこは間違っていなかったと思います。彼女の努力のたまものです。
ですが、やはり心配する人が出てきて、あきらかに本来の力も発揮できないところまでになるのは違うと思うのです。
どこかで自分の振り切りたい気持ちからの、正確に自分の状況を把握して一旦停まるは効率重視の必須行動でもあります。
効率性を一定数取り入れることは無駄なことでも、ズルでもないということです。
効率性の中の手法手段に、休憩するというのはあってもいいのです。

休んでしっかりと次のために動ける自分を作る。
休んでしっかりと実力(経験)を自分の中にしみ込ませる。

本当にそのことについてやり遂げていきたいならば、
しっかりと自分をフルベットで突っ込めるようにコンディションを整えておくのもひとつの手段手法です。
そしてどんなに踏ん張って詰め込んでも、それは短期間だけであり数か月にもかけてやることではないということです。
年々と気候もモノコトも熱くなっていますので、そこにしっかりと柔軟に生きていけるように、休む、という手法と手段はしっかりと活用していきましょう。

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