守り神を増やすよりも。

守り神を増やすよりも。

過去のお話になりますが、先祖供養の在り方を振り返る機会がいただけたのでメモをします。

とある財地関係の方々からのご紹介によるご相談で現地に赴きました。
一時期は家運が大変よく、盛り上がっていたものの、ここ最近では一気に衰退してしまっている。
それも後継ぎに関係する人の早世が目について困っている。
また一族の現在の後継ぎさんたちも原因不明の病でこのままでは絶家になるということでした。
どんなご祈祷をやっても験は見えず、幸先がまった見えないことからのご相談でした。

拝見する限り、とても手厚く神仏を祀ってあり、それなりにされている。
確かに表向きはそのようにしてはいましたが、いずれを見てもちぐはぐとしているのです。
何かが欠けているというか、バランスが悪い。
そこで家を見せていただくだけでなく、墓相も拝見することにしました。
そこでもきれいにされており、立派な墓石や石塔が建っています。
ですが、やはり何かが欠けている感じがしてなりません。
いずれも表面的にはちゃんとしているのに、中身がない。という塩梅です。
そこで自宅からこの墓までを含め、土地のすべての気相に違和感があったところをたどってみました。
施主さんを含め、紹介者さんたちも後をついてくるのですが、
なかなかの道の具合に数人脱落した覚えがありますが、お構いなしに進みました。
そして気相の行き詰っている様子の根っこである場所を見つけると、その明らかに人為的に拓けた様子と点在するように四角の石の塊があちらこちらに転がっていました。
ここがどういう場所かと問いかけたところ、もともとのご先祖さまたちが埋葬されているというではありませんか。
どうりで現在の下の民家近くのお墓が空洞だったわけです。
本来のご先祖さまたちのお力は墓ではなく、生骨のあるこのお山にあったのです。
現在の墓は、近々のご先祖さまたちで、火葬されて灰となっています。
昭和初期頃に亡くなられている方々は皆さま土葬で、このお山の中に生骨がそのままいらっしゃったわけです。
実際にその場所は山の中腹になり、そこから見える景色は一族すべてを見守れる場所です。
本来のご先祖さまたちは、この場所から子孫を見下ろしている状態だったのです。
ですが、子孫たちはそれぞれの都合からこの場所に足を運ぶことをある時期からしなくなり、
また諸事情から土地の切り売りをし、このお山の一部でさえ削り取って財を成していました。
全ての原因はやはり子孫である人間が作っていたわけです。

どんなに後付けで祈願祈祷を重ねたとしても、身近な人を供養していなければ、ご先祖さまたちがどんなに子孫のために働きたくとも、その力はおよびません。
ましてや、土台となる山を削っているわけですから、その霊力も神力も呼応し辛いのは当然のことなのです。
祟っているわけでもなく、隙間がどんどん増えているのですから、守りたくても守るにも限界があるというものです。
とはいえ、山の削りに関しては一族の意志とは反した諸々の世事情もあったのでしょう。
ここの部分だけはどうしてもご自身たちの努力ではなんともできない環境の力に押されたとも言えます。

施主の方々には、守り神を増やす前に、祈祷に頼る前にまずはここを大切にしましょうという話をしました。
そしてどうしてもこの場所がすでに自分たちの土地でありながら、その権利が行使できない状況なのであれば、
なんとか了解を得て、この土地を地鎮供養してから後、掘り起こし、ご先祖さまたちの生骨を取り出して火葬にし、
あらためて埋葬を現在の場所にさせてもらえるよう手配を重ねることを伝えました。
それらが少しでも運びよくするためのまじない祈祷はできるので、できうる限りの協力はしていくことを約束しました。

それから間もなく、まじない祈祷後には話がトントン拍子で進み、1年を待たずして骨をできる限り掘り起こし、火葬にすることが適ったのです。
今では、後継ぎさんたちの病は落ち着き、完璧ではないにしてもいずれも回復のほうへ。
これまでにもあった土地に関する他のトラブルも少しずつ解決のほうへ向かい、
もともと祀っていた祠の手入れもより柔軟に手厚くなったことで、業績も一定の塩梅を継続することになりました。

改めて思うことは、開運させたい気持ちばかりが先に置いた状態で、本来の大切にすべき事象にまったく気づいていなかったことが今回の根っこでした。
人は恵まれた環境には当たり前のように手元にあって、それらが減ると開運だ開運だとあれやこれやと手を出してしまいがちです。
やはり初心に還ることは必要で、しかもその初心は自分のことだけではない、一族の初心をたどることでもあり、
それらは開運することではなく、改運であるということなのだということ。
開運の祈祷を一定の生業としているだけに、あらためてこの先祖供養に対する意味と意義、
そして祈祷することの意味と意義、立場のあり方、改運することの大切さを思い出させてもらえる機会になりました。

この一文が皆さまの何かに繋がるならば幸いなことです。

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