とある家族のエピソードを書き連ねて、最後の最後ですべてを消しました。
その家族からは許可をもらってはいたけれども、
どうにも私の言葉が薄っぺらく作ってしまっていて、
私が納得できなかったのです。
そのくらいには、その家族の愛情が深くて愛おしいくて、大切に思えました。
ですから、簡単に一方的ではあるけれども、
そのエピソードを思い出しながら感想だけでも備忘録として遺しておきます。
人間、誰でも泣いていいと私は思います。
これまで生きてきて、様々な常識として「泣く」ということに制限があったけれども、
心がある私たちは、性別、年齢、立場、関係なくその人の心が「泣く」を求めているならば、
泣いていいと思うのです。
泣いたからといって、現実は変わらないかもしれない。
泣いたからといって、過去はなくならないでしょう。
泣いたからといって、誰かが助けてくれるとは限らない。
泣いたからといって、理不尽は理不尽のままがそこいる。
泣くという行為は場所や状況を選ぶ必要があるのかもしれなけれど、
自分の心がそのように動くときは、泣いていいと思うんです。
その心に蓋をしても、きっと将来の自分の何かには澱のようにたまっているかもしれない。
欠落感や泣きたかった何かを別のモノで埋める行為が続いたとしても、
それそのものはやっぱり戻るモノではない。
だから、私は泣いていいと思うんです。
その感情や想いはその人のものであって、誰かに弄られて、適当に扱われていいことではないと思うのです。
私自身が、「他者の涙」に失礼無礼をした記憶と経験があるからこそ、
大きく反省があればこそ、あらためて強く想うのです。
あなたの涙は、誰よりも愛情深くて尊いと思います。
だから、どこまでも胸を張って生きてください。
あなたの妻と子供たちはそんなあなただから絶対の信頼と愛情を表現していると思います。
あなたが向けていた心は間違いなく、家族の中にあります。
だからこそ言います。
頑張れ!泣いていいから、頑張れ!
止まりたい時は止まってもいい。
我慢しなくてもいい。
けれど、トコトン生きてくれ。
応援してる。