後始末を考える。

後始末を考える。

本日、預かり事務所の後始末がようやくと終えた。
短い期間ではあったけれども、様々な物品諸々が部屋から出して、
がらんどうにするところまでを土用前にしっかりとやり遂げられた。
無事にご家族へお届けできたことも幸い。

私の仕事の中には、家や会社関連の後始末をご依頼されることもある。
今回は急なことではあったけれども、この1か月弱の中で片づけられたのは、
今年に入ってからの始末に添うことが多かったおかげで手馴れていたこともあり、
詳細な事務手続き等は、私では法律的にできない部分が多いので専門の方にお願いすることとし、
無事に関係各所の協力のもと、終えることが適った。

そしてあらためて、人生の終わりに添うというのは、
如何に長く自分らしく生きるかばかりではなく、どうやって始末をつけるのかは最重要になってくる。
一昔前は、如何に子供たちに何を遺すのかがテーマともいえたかもしれない。
けれど昨今の出生状況や経済状況を考えると、如何に次の世代に負担をかけずに終わらせられるかが個人に求められてきている。
若いとされる間は、自分らしさに意識が強く向くものだけれども、
そこそこになってくるとわかるのは、やはり死にざまというのがその人の生きざまであり、
本質の自分らしさというものをありとあらゆる場面で露呈してくる。
どんなに生きている間にうまく隠せていたとしても、死にざまには結局のところ人生の姿勢のすべてがありとあらゆるカタチで横たわるのだ。
今年はこの手の仕事が多かっただけに、考えさせていただける機会に恵まれたのは本当に貴重だったのだろう。

自分の始末も後先しっかりと見据えておかねば、もうそろそろ、なんてことがあっても不思議はないお年頃。
どんなに長生きをしても、冷静な判断や身動きができないようでは意味がない。
ピンピンコロリが本当の意味でいいかどうかは別としても、
身軽にいつでもどうぞ?といえるくらいにはしておきたいと思うが、
もう少し、人生を足搔かせていただくぞ、というのが本音。
もう少し、もう少し、洞があったことをカタチを遺したいので、
その筋の役処(やくどころ)さんには、いつでもはもう少し先送りでよろしくお願いします。と言っておきたい。

いずれにしても、身の成り行きは死んでからのほうがいろいろわかるので、
最低限を見苦しくないように納めておきたいものだ。

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