ある、が在る。

ある、が在る。

酉の市のご案内をしてのち、私の我儘に付き合っていただき、参加者さまのお時間を頂戴して、
皆さまからお話を聞きだしたり、嶽啓道の根幹に触れるお話をさせていただいたりと、
有難くひと時ご一緒させていただいております。
今回のご案内だけに限らずなのですが、皆さまが心に憂うことというのは、
おそらく今も昔も変わらないところもあれば、この時代だからこその悩みがあります。

嶽啓道の基本的概念である「シンラ」には、「すべてがある。あるが在る」としています。

どんなに悩み苦しみ、辛さに悶えたとしても、その傍らには必ず真逆のものが存在しています。
その悩みや苦しみの中や先々にあるだろうものへほんの少し意識を向けるだけでも、
そこには希望に換えることのできる心の向け方や、考え方が手に入ることがあります。
その心や考えというのは、時に「気づき」として私たちに大きなギフトとして与えられることがあります。
ただ、この「与えられる」というのは、では誰が?与えてくれるの?という意識になるのですが、
これこそが「シンラ」のカタチのひとつであると嶽啓道では考え、
そのカタチとしての「気づき」は「おかげさまからの恩恵」であり、「未来の自分からの恩恵」でもあるとします。

と考えると、苦しみの中にやってくる「善きこと」が日々の行いや心がけであるからこそ、
己の現在のあれやこれやの行いの先に「悪しきこと」がやってくる、ともいえるのです。
もちろん、理不尽で不可抗力的に大きな力や勢力に押されて負けて不運を被ることもあるでしょう。
ですが、大きくはやはり特定の環境を作り身を置いているのは自分であって、その環境の中で起きた出来事についてはやはり自分の行動の結果となるわけです。

色んな意味で環境は私たちを作り、私たちで環境が作られます。
そしてそれらがシンラの世界の中にいくつも存在して、お互いを干渉しあったり、感応し合ったり、時に離れてまた出会っていく。
それらを繰り返すことで私という自分が様々な影響を受け与えあいながら成長をし、命を循環させていくのです。

私たちの暮らし、生活、心、命のすべてに、「ある」が在るのです。

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