この時期になると見かける記事に、お賽銭に語呂合わせして縁起を担ぐというものがあります。
質問をいただくのですが、
これの良し悪しについてはなんとも言えないなぁというのが本音です。
というのも、
まじない的に語呂合わせというのはすることが多々あります。
時にはそのまじないに、祈願に合わせたお賽銭を入れるというものがあるからです。
だから年末年始にかかわらず、お賽銭に語呂合わせをして意味を持たせるということは可能です。
ですが、それがとても良いことだ、とするのはまた違う。
あくまでもただその語呂合わせでお賽銭を投じても、やはり自身行動が伴う必要があるのは当たり前のことです。
「賽銭を投げる」という言葉にあるように、モノコト投げっぱなしはやっぱり違うわけです。
信心信仰があってもなくても、こういう語呂合わせに拒否感や否定感が生まれる心情も、十分に理解できます。
ただ、この語呂合わせをきっかけに、自分のモノコトを見直すようになるのであれば、それはそれで善きことかなと思います。
同時に、イベント的、娯楽的に語呂合わせで遊ぶのも決して悪いことでもないし、神仏に対し、おかげさまに対し、無礼なことでもないと言えます。
信心信仰が薄くなっている昨今、同時に宗教への意識も目減りするどころか印象がよろしくない方向へ行きがちな状況ですから、
めったに神社仏閣に足を運ぶことはなくても、せめて年末年始のこの時期に私利私欲といえども手を合わせる習慣が残ってほしいと思うのです。
そしてその先に少しずつでも、その人の心の何かに信心信仰の芽吹きがあることを願ってやみません。