覚悟を持つ?

覚悟を持つ?

何かを決める、はじめる、やりなおす、
など、今の自分には想像がつかないことや、
ハードルの高いこと、生涯にかかわる約束事などへの決意に対し、
覚悟を問われることが多々あります。
途中に心折れたり、気持ちが変わるなどで中止、停止をすると、
覚悟が足りなかった、という言葉で自他ともに断ずることが多々あります。
幼いころから、この言葉はよく耳にしてもおり、
いつも使い方や状況、状態にこのワードが腑に落ちることがありませんでした。
それはこの還暦を目の前に置いた世代に入るまで続いていましたが、
少しばかりその言葉の意味を理解してきたように思えます。
同時に、ばあちゃんたちは覚悟については大きく指摘することも、
突き詰めることも他者にも自分にもしていませんでした。
代わりに、あらためて継続することへの行動の指摘だったように思えます。

結局、覚悟があるなしは物事を最初に決めるときに根拠がほぼなく、誰にも証明できません。
結局のところ、後天的にしかその評価は「覚悟のある人だったね」としか言えないのです。
日々に決めたことをやっていても、うまくいく日もあれば、そうでない日もあるでしょう。
もしかしたら目標に対してなかなか成長が見受けられなかったり、失敗したりが繰り返されることもあるかもしれません。
そこに試行錯誤をしたり、調整して練習を重ね、挑戦し続けていくことは、まさに自分との向き合いになるでしょう。
毎日、自分のご機嫌と向き合いながら心の根っこを使って行動し続けるしかありません。
どんなに最初に覚悟をもちました!やっていきます!と強い意志を持っていたとしても、所詮それはその時の一時的な熱量でしかないことがほとんどで、現実はかなりの苦労や葛藤、自分の怠惰が重ねられることが多々あるのです。

最終的に本来の目標を達成したかどうかは横においたとしても、継続的に様々な出来事に向き合いながらひとつのモノコトを行動継続している姿に「覚悟がある人」だと評価しますし、目標を達成したらなおのこと「覚悟のあるすごい人」となります。

最初の意気込みで作った覚悟は、所詮の「気分」でしかなく、
日々の行動の連続の姿に、他者の「覚悟への評価」は大きくあり、本人にとってもやり続けたという「自信」が得られるのでしょう。

そう考えると、覚悟を持つことに人生の区切りや大きな決断をゆだねるよりも、
ただただひたすらにやってみる、練習する、失敗したら修正する、
という日々の継続と決定の繰り返しという、とても地味なあたりまえのことになっていくのでしょう。

ダイエットも数日やっても結果がでないのと同じで、
人生の中で目標目的に向かって達成するのもやはり時間がかかるというものですね。

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