一発逆転はありません。

一発逆転はありません。

まじないの中にある逆転作法についてですが、
私の記事を読んでくださっている方は耳に胼胝ができるほどご存知で、
簡単お気楽に一発逆転できるようなものは何一つない、ということです。

時折、SNSのDMやメールなどに切羽詰まった状況を打開したい旨の内容をいただくこともあります。
お気持ちはわかります。
チェックメイトまできている状況から何とか逃れたい、自分ではもうどうにもできないから何とかしてほしい。
そういう方々の気持ちが全くわからないわけではありませんが、
私は一様に返事はいたしません。
特にSNSのDMは一切対応しない、というのを拙堂のルールにしています。
(※ただしもちろん例外のケースはありますが、相手との関係性のみで成立しています。)

一見、まじないによって問題の状況が形勢逆転して、それが人生の一発逆転のように見えてしまうこともあるかもしれません。
ですがその結果が得られるには、やはりそこに至るまでのご本人の行動量や質、また福徳の成せた力と言えるでしょう。
窮する状態であるということは、何かしらこれまでの自分の行いや人との関係性によってできたモノコトであることがほとんどです。
そこを棚上げして、現状の苦しさや状態をなかったことにしてほしいというのは、やはり傲慢というほかありません。
時に、明らかに理不尽に巻き込まれることもあるでしょうが、それもまたその問題となるモトとの関係性を日ごろからどう向き合っていたかの成り様でもあります。

では、どうすればいいのだ?と言われてしまうのは百も承知で、これに私が答える方法はひとつしかありません。
苦しくとも、辛くとも、ひとつひとつをやり直し、自らの行動を改め、モノコトを片づけるほかありません。
もしかしたら、人生寿命の間に合わないかもしれません。
ですが、逃げ出さずに今すぐに取り掛かれば、数か月後は今よりマシかもしれません。
夢も希望もないのかもしれませんが、晩年へと近づく私たちができることには、一定の限界があります。
それでもその限界値と折り合いをつけながら、やり残しが少しでも少ないよう生きるほかありません。
本来ならば、自分の人生の責任に誤魔化しなど必要のない体力気力があるうちにやり込んでおけば、向き合っていれば、よかったことです。
今更にそこに後悔をしても、命の末はすぐにそこにあります。

厳しい言い方になりますが、
生きてきた時間よりも、これからの時間のほうが短いのです。
少しでも自分に悔やみを遺さないようにするには、若い時にするはずだった痛みを今ここで引き受けるほかありません。
痛みを引き受けながら、奥歯を噛みしめながら、他者(若者・実力者)の力を借りながら、命を全うする他ないのです。
もしかしたら、もしかしたら、そういうあなたの心意気と行動に、
どこかのおかげさまが何かしらの手を差し伸べてくれるかも、しれません。

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