今を生きる。
これを意識し始めると、最初は過去や過去の感情に振り回されていることに気づいて修正の日々になります。
そしてそれらの意識に今度は執着が生まれることとなり、やたらと今という感情に今度は振り回されだします。
気づけば、気づいたごっこの繰り返しとなり、結局のところ過去の状況と何ら変わっていないじゃないか、というオチまでついてきます。
そこに言い訳のようにして自分に言い聞かせるのは、
「一ミリでも変わる努力をすればきっと未来は大きく変わっているはずだから」
となるのです。
確かにその通りです。
私もよく言います。
ですが、本当の意味ではちょっと違うのです。
実のところは努力をするだけでは足りません。この努力の中に、未来の自分をしっかりと現実の今に引き寄せながら動いているかどうか、ということなのです。
今の自分の行動が、未来のなりたい自分が選択しているかどうかを意識することなのです。
ここに今の自分の感情の比重はほぼないに等しいのです。
今の自分は過去から繋がっています。
そして今の自分が未来の自分に繋がっています。
だからこそ、なりたい自分になるということは、
常に過去の執着を手放す行動をし、未来を生きているように今の行動を選択するということなのです。
未来につながるように常に今の選択を自分に得ていることなのです。
今の至らない自分の感情は過去の自分の感情の引継ぎです。
そうならないように、繰り返さないために、未来の自分の意識に繋げ、感情を育てていくのです。
時にそれは苦しく、つま先立ちとも言えないほどに、もがき、必死になることになるかもしれません。
傷みや痛みが伴うかもしれません。
ですが、余計なものをそぎ落として未来に自分を育てることは、時にそういうことなのです。
いつも同じことで揉めたり、居場所を無くす人ほど、自分が何をして同じことになってしまっているのかをもっと見極める必要があるのです。
そして同じことにならないように、今を生きるのです。
そこに自分の質や特性などから難しい局面があるかもしれません。
それでも時に厳しく自分を育てて、全部ができなくとも少しずつでも訓練をするしかないのです。
これが「一ミリでも変わる努力をすれば….」に繋がるのです。
今の感情、気分ばかりに執着しているうちは、今生きている場所(ステージ)から変化することなく、
むしろ、年齢と共にそれら思考感情パターンに振り回されて、老害というものになる可能性のほうが高くなるのです。
どんな適正不適正があっても、若い世代に押し付けることにならないように、私たちは今から自分が自分の親のようにして厳しく律する必要があるのです。
昭和世代のいろいろをネガティブに捉えすぎる傾向が昨今多くありますが、
その時代世代の教育や躾の中にも、大人になり生きる上での本質の一部に、とてもとても大事で大切なところちゃんと伝えてくれていたことがあるのです。
やたらと多様性だとか、個性だからしょうがないという言葉を持ち出すことで、生きる力を育ててこなかった部分が大きく出てきているように感じます。
もちろん、時代の都合よさそうな言葉は現代の人には通用しないリアルがあるのも事実ですから、今の教育や現状のすべてを否定しているわけではありません。
とはいえ、私はあらためて声をしっかりと出しておきたいのです。
シニア世代になればなるほど体力気力があるうちに、痛かろうが苦しかろうが、自分を甘やかすな、です。
感情云々でしくじりを繰り返した人生ならば、とことん感情を横に置いて行動選択です。
そしてあくまでもこれは私の意見の吐露にしかすぎません。
これを読んでどう感じて、何を自分に得るのか、得ずに捨てるかは読み手の方の選択です。
すべては、あなた自身の選択です。