嶽啓道において他宗教との関係性について口頭では何度も口にしていますが、
文字にしっかりと残したことがありませんでしたかね。
あらためて言えるのは、
どの宗教もその信者の方々にとっては大切な神さま仏さまです。
そこについての是非や正義の云々を唱えることは一切ありません。
たまに宗教を混ぜるのはよくない、という話もありますが、
敬い、手を合わせることに、嶽啓道では全く非、否がありません。
むしろ神仏習合、森羅万象へ手を合わせることを考えれば混ぜることは至極真っ当なことと思っています。
ただし、ただしです。
だからといってなんでもかんでも手を出すのはやっぱり違います。
ましてや、修法や修行を何かしら学ぶのであれば、身に着けるのであれば、
やはりその宗教への敬意と信仰を行動の第一に持ってくることが必要です。
ここに混ぜるはやはり違います。
私自身、お誘いいただいて修験道のとある修行においてを密教の方々、先達の方々と歩かせていただいたことがありますが、
そこではやはりそこの仕来りや意味意義があります。
そこに身を置きやらせていただく際は、やはりその流儀教義に則って行いました。
領分の違いがわかるからこそ嶽啓道の路軸をより明確にこの発言をしているのです。
私自身、密教の修行は入り口を覗かせていただいたことは有れども、修したとは言い難い、むしろ修しておりませんと断言できます。
時折、私が密教の修行をちゃんとやった人という解釈をされる方がいますが、大きく違うと言えます。
同時にこれは神道でも同じです。
ですので、他宗教の是・否については一切何も言えません。
知らずとその宗教のことを何も語れませんし、触れることもありません。
ただシンラの元、すべての神々神仏に敬意をもって手を合わせる。祈る。これに尽きるのです。
ですので、一般信仰者として、様々な神さまへ手を合わせることや祭壇を持つことは、シンラにおいてはとても自然なことになります。
これはあくまでも嶽啓道においての視点となりますので、他宗教を一筋に修されている方々の視点、観念、観点においては受け入れ難いことと思います。
時に宗教者の方で、他者の祭壇に云々を唱えるお話があるようですが、私としてはただ単純に残念なことですね、と思うているだけです。
ですので、個人としてどう思うか、どう信仰したいのかその個人のカタチであって、他宗教の方々と対、論ずることではないというのが私の考えです。
あらためて何度も申し上げますが、あくまでも嶽啓道での考えです。
これを鵜呑みにして余所の宗教の場にて持ち込み、勝手に是非を論じてはなりませんよ。
くれぐれも、よろしくおねがいします。