《雑記》なかったことにはできません

《雑記》なかったことにはできません

自分が過去にしでかしたことが原因での現在の問題をまじないでなんとかしたいと言われることが多々あります。
これらの依頼のすべてを否定はしませんし、ダメだとは思いません。
雑な言い方、括り方をすれば、いずれの悩みも問題も自分の何かしらが元になって起きているものがほとんどですので、まじないの使い方という部分では、あながち間違った依頼ではないです。
ただ、時にこれが自己都合以上の利己都合勝手なものが通ると思っている方がいるのも事実です。
今回ご紹介するのは、年に何回かは同じような内容のものになります。

自分の過去の浮気が原因で配偶者からの信用を無くしている。
何を言っても疑われるし、何をしても受け入れてもらえない。
許してもらえなくて、未だに責められる。
謝ったのだから、いい加減にしてほしい。
こんな許してくれない相手だったら、謝り損なので離婚をしたい。
そもそも浮気をしたのだって、相手のせいだ。
浮気相手のほうがよほど異性として魅力的で自分も成長できた。
まじないでなんとかできませんか?

こういう考えの人は、人というものを舐めてます。
尊重尊敬というものが真の意味でありません。
成長したのは一体全体、今のあなたのどこのどのあたりでしょうか?
謝ったらそれですべての現実と感情が相殺されて、みんながハッピー無問題とでも思っているのでしょうか?
配偶者であればそのくらい大らかに受け止めて当然だと思っているのでしょうか。
人の感情はそんな簡単に仕上がっていません。
裏切られたと思っている配偶者にとっては、憎み続けることも、責め続けることも苦しい。
かといって黙っていることも苦しい。離れることも苦しい。現実的な環境上難しいこともある。
簡単に答えが出せない様々な状況の中で、謝罪を受け入れなければならない。
本当に許したくても許せない部分をどうしたらいいのか。
この現状を作っている自分の責任をどう受け止めたらいいのか。
傍から見れば、一番苦しみながら悩んでいるのも裏切られたと感じ続けている配偶者の方です。

裏切った側の当事者は、自分の責任をしんどいと感じて、別のカタチで他人、配偶者に押し付けている現実を見ていませんし、理解していません。
そこに色んなネオスピリチャル的な思想やら、今時の婚姻形式のアレコレについて論じても意味がありません。
それらを持ち出して自分が傷つけた相手を説得しようとすればするほど、勝手な自己正当化が進み、傷ついた方にとっては、謝罪の意思がない人なのだという風に受け取るしかなくなるわけです。
そしてまた二度も三度も、傷ついた部分を同じ人から抉られるように傷つけられてしまうのです。
デリケートな人にであれば、不貞をした相手のことを理解のできない自分のほうが悪いのだろうという思考と感情までもが動いてしまうのです。

ハッキリ言います。
現在の法律上、婚姻関係にあるにも関わらず不貞行為があった場合は、ダメなんですよ。
どんな理由と価値観を押し付けたとしても、ダメです。
不貞は不貞です。ダメなものはダメ。
まじないでなかったことにはできませんし、不貞を受け入れるおおらかな感情を配偶者に持たせることもできやしません。
ちょっと考えればわかることなのに、何を私に期待しているのか。臍で茶が沸くとはこのことです。
そういう軽率な考えを平気で口に(DM)してくる段階で、人としての格は残念というものです。

愛のカタチというのは、人それぞれ。色々です。
そのすべての否定をいたしません。
ですが、最初に結びを付けた相手との価値観に不貞はダメという前提で結婚をしたのであれば、やっぱりダメです。
途中で価値観が変わった場合、配偶者が受け入れないのであれば、やっぱりダメです。
ただし、お互いの話し合いの上で結婚をしてはいるけれども、自由恋愛OKということであれば、それはそれで良いのだと思います。

ダメなうちは、ダメ。これ以上これ以下でもありません。
まじないでは、あなたの不貞行為をなかったことにはできません。

私を説得しても、あなたの人生は何一つ改善されるわけではないのですよ(笑)

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