二には己が徳行の、全缺を忖って供に応ず。
ふたつにはおのれがとくぎょうの
ぜんけつをはかってくにおうず。
※恐山菩提寺さま配布紙より引用
私は今この食事を戴ける程日夜精進努力しているかどうか反省する。
食事を堂々と食せるかどうか?とても基本的なことを問われていますね。
八十八回の人の手間暇をいただいているならば、やはり私自身がどなたかの、いずれかの八十八手になれているかどうかという意識に繋がります。
食事をすることは生かされていること。
生かされているのであれば、生きること。
これは日々の行いそのものや、自分との約束をしっかり守れているか?
不納得ではない生き方ができるているかどうかは、日夜精進努力にかかってきますね。