どんなに現代的新興スピリチャル的な要素のものを取り入れたとしても、
自分自身が自分の人生を生きることに対して責任と行動を持たない限り、
現実が変化していくことはありません。
ましてや、そこに心からの祈りや信仰がない限り、
神仏からの加護というのものも、顕現していたとしてもキャッチできません。
顕現も自分が好ましい現象でない限り受け取らないのが人間の心内であることがほとんどでしょう。
都合が違えば、それは顕現とは受け取らない。
受け取らない者に神仏はやがて与えることも止めてしまい、やがてはその場から引く、もしくはいなくなるのが原則です。
受け取り力のある人のところは居心地が良いとして、神仏も腰を下ろして居座ってくれるものです。
ただ部屋の掃除をすればいい、定期的に拝めばいい、月参りをすればいい、だけではないのです。
そこは基本の氣。
居座っていただけるためには、自分が神仏の期待に応えることも当然ながら、祈願に対してどのような変化や験を頂けているのかを日々で感じ取れれているかを丁寧に知ることです。
丁寧に知るという時間やチャンスを頂けている。これもまさに顕現のひとつだということを知るべきなのでしょう。