【雑記】お金と時間との関係性を想う

【雑記】お金と時間との関係性を想う

信徒さんとの会話の中でよく出てくるお金の相談で、ふと思うことがありました。

お金の相談は大きくふたつ。

・現在ある資産を含めた財の使い方の相談。

・現在とても苦しい状況、いつ報われるのか?開運するのか?

お金の相談はいつも同じように見えて、相談者によってその顔色は全く変わります。
前者は常に社会との共存において、いかに自だけではない周囲環境との関係性に視線を向けた使い方を考えています。
ですので、一見無駄だと思えることさえもしっかりと時間価値としての投資をしていることがほとんどです。
そして、視線を遠く置いているように見えて、しっかり現在地からの状況を把握したうえで行動を選びます。
ですので、相談の内容も非常に具体的で建設的です。

反面、後者のタイプの人は常にお金だけでなく時間に追われています。
常に忙しない。喋り方も所作すべてが忙しないのです。場合によっては座ったままでも体のどこかしらが揺れている。
ですので、霊的な要素も常に揺れ動いています。

隙だらけ。

この隙を好む輩が世の中あちらこちらと存在していますので、後者のタイプの人は耳障りの良い言葉に惑わされ、必ずと言っていいほどムダ金という名の浪費を作り続けています。
そしてしばらくすると、時間の無駄だった、自分は騙されたと息巻いていたりするのだから、どうしようもありません。
さらにこの手タイプの人は、すぐに開運したいと金運祈祷を依頼してくる、もしくは腹立たしい相手との縁切りを希望します。

向ける矛先が全く違い、祈祷の意味を間違えていることがほとんどなのです。

確かにある意味ではお金で開運を得ることは可能でしょう。
ですが、本当の意味での自分の人生において改運できる方法は、何よりも自分自身の命という大切な財産を丁寧に扱い、限られた時間の中で出来る限り後悔をしない満足と納得の両建てが適うよう努力する生き方を日々心掛けることなのです。

お金で一定の徳を買うことはできなくはない。
けれど、恒久不変の心根で自責の信心信仰を一心に貫き、日々の安寧のために努力精進をこなす人にこそ、真、誠の徳を知ることができるのでしょう。

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