好きなことを仕事にしたはず、やりたいことを仕事にしたはず、なぜこんなにも苦しくなったり、辛くなったり、思うように生きられないのでしょうか。
こんな質問を頂くことがあります。
そうね、そうね、気持ちはわかる。こんなはずじゃなかったと。
だけど私はあえて厳しいことを言います。決して慰めたりしない。
私のところに優しい慰めを期待する人はここ最近減っているので丁度いい感じになっています(笑)
だからある一定のリクエストにこたえる意味も込めて、私は厳しく答えます。
答えはとってもシンプル。
アナタは「利己勝手に」未来に期待して、
「自分勝手に」現在に絶望しているのです。
好きでやりたい仕事は、必ず思い通りの幸せと豊かさがあって不幸不運、苦労は一切訪れないと勝手に都合解釈、想像していただけなんです。
現実的な世の中での自分の立ち位置や、本質モノコトに対して一切予想予測をしていなかったし、自分の現実実力を理解していなかった。
それだけです。
いやいや、好きなことでも苦労するだろうとは思っていましたけど、と言いたいことも知っています。
ですが所詮、あなたにはその向き合う覚悟もなければ、何事も起きないと思っていたことが間違いなのです。
好きとやりたいという気持ちは、動く巨大なエネルギーになります。
けれどその分だけ取り扱いを大切にする必要があります。
自分の器以上に大きなことを成し遂げるときほど、大変なことも起きます。
それらを乗り越えられるには、それほどに大きな好きとやりたいが自分の中にあるかということです。
それもなんとか踏ん張って継続的に仕事として続けていても、やがて自分だけではない人との関係性が増えて居たりもするから、気づけばやりたいことのはずなのに、やらなければならない義務的なことに変化していることもあります。
やりたいことがやらなければならないことに変わったときこそ、その仕事への想いや真の心根が試されているし、本気の壁を越えて真のプロフェッショナル、職人になれるかどうかなのでしょう。
これは私自身がまだまだ経験と未経験が混ざっているところです。
50年生きてきても、まだまだまだまだの連続が続いているのです。
だからこそ私自身がやっていることで、コレを読んでいる人たちの参考になるとしたら、
自分のやりたい気持ちに対して、
身勝手に理想と期待を未来に置かない。
モチベーションは必要ないと言い聞かせる。
気持ちが落ちるときほど小さくとも体を動かす。
ようにしていることです。
モノコト達成するために、ある種のイメージを展開させる必要はあります。
ですが、そこに心を乗っからせない。変にテンションもあげない。
ただ理想とする自分になれるように淡々と進める。
進めることに対しても季節や気候、ホルモンバランスによってはやる気も削げます。
そこに対してモチベーションを上げていくことに意識を向けないようにしています。
モチベーションが上がらないとやれないことなら、元々に無理があるんです。
しかもモチベーション探しが始まったら、これはもうやりたいことからかけ離れているんです。
それに気づかなくちゃいけない。
モチベーションが無くても手放したくなければ、やるだけなのです。
そしてどんなに構えて何事にも向き合う前提でいても、やっぱり予想外の不運不幸や突発的事象が起きたら誰しも腹も立つし、世を恨みたくなることもあるでしょう。
それが人間です。
そしてその人間としてやり切っていくほかないのに、モチベーションは必要ないのです。
こうして私も日々、季節気候、ホルモンバランスを横目に、
あ~、とか、う~ん、とか言いながら、重い腰をあげつつ行法と向き合うのです。