先日、Twitterで神職の古川氏が呟いていたのが非常に印象的でした。
これは本当にそうで、
某寺院のH師僧も仰っていますが、家にいてくださる神さま仏さまを家族の一人として扱うか如く、お食事していただく。
お土産も買って帰る。
こうすることで、より強い絆と信頼関係を互いに紡ぎ合って初めて信心信仰の在り方を学ばせていただく。
また続いて古川氏が仰るように、忘れ去られようとする作法ともいえます。
拙堂では、毎日ご飯は炊きませんが、何かしらのお供物としてお菓子は元より、ご飯を差し上げないときはお酒をお猪口にご用意します。
私は全くの下戸ですが、香りや質感で味がしっかりとわかりますし、ほんの少し舌に乗せるだけでも十分に味わえますのでご相伴させてもらうことが多くあります。
冷凍のご飯であっても、レンチンであっても、ほんの少しをご一緒にという心が大切ではないかと思うのです。
沢山でなくても良い。心をたっぷりと山盛りに差し上げる。ここが肝。
心がしっかりたっぷりと乗れば、あちら側には少量のご飯もたっぷり山盛りになります。
お茶でも、お菓子でも、ご飯でも。心が大切になるというのはこういうところです。
ちなみ拙堂ではご飯を炊いたときは、豆皿にそれぞれと盛らせていただきおかげ様皆さまにいただいてもらっています。
ご参考になれば。