余裕がない時ほど。

余裕がない時ほど。

先日、マネージャーとのやり取りの中で改めて思うことがありました。
彼女は私のメディア関連の仕事を含め、さまざまな方針の相談相手であり、嶽啓道の問答を一番多くやり取りしている人です。
彼女の今世は「謙虚と感謝、自分を使い切る」をテーマにしてるようで、
自身の生い立ちから現在に至るまでの仕事や環境を含め、
大きく変化を自分で作ってきている人でもあります。
知り合ってからまだ4~5年の中で、いろんなことがあり
時にはもう拙堂を離脱するのかな?と思うこともありましたが、
その流れと堂々とした生き方や、素直さ、自分の中の矛盾との闘いなど、
自責をまっすぐに受け入れる努力を継続しています。
今回の私の個展でも大きな貢献をしてくれ、成功の中心となって支えてくれた一人です。
彼女がいなかったら、どれだけ大変で苦しかったでしょう。
だからこそ、私は絶対的信頼を置いており、そのうえで、拙堂のバックアップをしてもらっています。

そんな彼女とは嶽啓道の思想や理論などを問答しあっては、
私自身が彼女に何度もカタチをかえてアウトプットさせてもらうことで、
ブラッシュアップさせてもらっている状態です。
そんな中、彼女が呟いたことにあらためてばあちゃんたちの教えを思い出す切っ掛けをもらいました。

 

「モノコトへの謙虚や感謝というのは、
物質的にも心理的にも余裕があるときばかりがフォーカスされるけども、
本当は余裕がない時ほど、ちゃんとこの二つが自分の中にどうあるかを知っておかないと、
本当の意味での自分にも他人からも信用や信頼も得られないし、自分自身の在り方にも傲慢と被害妄想が増える。」

 

本当にその通りで、モノコトに不安や問題が生じたとき、それらが解決しづらい状態になったときほど、
何に余裕がなくなってこの問題が大きくなってしまったのか、拗れているのか、
という部分を含めて見返し思い返しをしなくてはなりません。
何事もない時に感じることも大切ではあるけれど、どこかゆとりがあるが故の謙虚や感謝というのは、何か見落としがちな「ごっこ」になりかねないのは確かです。
場合によっては感謝と謙虚と言いながら、上から目線に気づくことなく、状況状態を満足していることにフォーカスさせていることもあります。

頭ではどこかで解っていてもながらになりがちだった、人様に口にすることの多い私の「謙虚と感謝」。
彼女の口を通して、あらためてばあちゃんたちとの対話の景色が一瞬にして浮かび、ハッとさせられました。

教えられる、思い出させられることが多い、彼女との日々の対話は大変貴重で有難くかけがえのない時間です。

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