土用が始まりまると同時に、拙堂にはあれやこれやと難儀を持ち込まれております。
今までなかったわけではないのでしょうが、突如として湧いてくるという感じです。
私のところへ持ち込まれる数を考えると、皆さまを含め、周囲には色んなことが起きているのだろうと察することができます。
常々と考えていたのは、どうすればもっと皆さまの生活に直結するための土台を調えられるだろうか?ということです。
そのこともあり、去年のある時期から拙堂でのまじないの一部提供を絞り込み精査しておりました。
そして第一弾として「先祖累々おやすみまじない」というものを仕上げました。
これはお施餓鬼や回向に近い、先祖とその関連関係へのまじないという解釈をしていただくのが良いのかもしれません。
私たちの命があるのは、先祖のおかげ様であり、その先祖を助けてくれた方々がいらっしゃるからです。
同時に、私たちが背負っている過去の事象のひとつとしての「家系による業」というものがあります。
自分が起因する業そのものは行いの改めであったり、謝罪である一定のことで解消できることもありますが、「家系による業」についてはどうしても気軽に一度の祈祷で終わりましたとはいかないことがほとんどです。
それもそのはず、私たち自身の前の世代の人数を数えたら途方もない人間が関わり、同時にそのひとりひとりに関わった人間の数を合わせたら天文学的数字になります。
ですから、一度の祈祷で供養が終了という状況にはならないのが現実なのです。
だからこそ、私たちは宗教というカタチ、形式を得ることによって、薄皮一枚一枚をめくるように供養作法をさせていただくことになるのです。
この作法を土用と重ねて行う良さは、土の不安定な様々な状況の中に、より丁寧さを増して労り、養うことを意識することで先祖と累々と重なる命の有難さに感謝すると同時に、今置かれている自分の在り様を振り返ることができるようになります。
これこそ、自分の肚の一番下の底の部分に触れる行動のひとつであったり、きっかけになるので、芯から自分自身の生き方や軸を取り戻したい方や、在り様を構築していきたい人にとっては強力な助けになると思います。
また、人間関係における繰り返しのトラブルなどへの対処法転換や抜け道が見つかるなどの、複合的な要素も縁起として得られる可能性があります。
ただし、あくまでも日頃の行いの部分が大きく影響するので、自分の思考や感情のコントロールを置き去りにして、周囲にだけ変わってほしいという他力他責な人には縁起は作用しません。
これはほかのまじないでも同じことです。
まずはいかに自力と自責と向き合うか。他力と他責他罰への意識思考と感情をやめていくか。となります。
その後ろ盾、底上げにこの作法を取り入れることで、より無意識に落とし込みを促し、同時に何よりも感謝の儀を調えることとなります。
自分と向き合うためにも、本来の自分を取り戻すためにも、命の土台である部分をしっかりと調えていく。
そして土用のなごみ作法と重ねることで、よりその土台を支えてくれる土地さまへの繋ぎを強化していくようになるのです。
先祖累々おやすめまじないは、土用と併せてご提供できるように準備を深めていこうと思います。