先日、「嫌いな人がいるので自分の目の前からいなくなるおまじないはないか?」と聞かれましたが、「それはおまじないじゃなくて、呪詛ですよ。」と答えたところ、大変驚かれてしまいました。
「死んでほしいとか、呪(のろ)ってませんけど!」と言われましても、
事情を聴けば聴くほど、顔の色も目の色もかなりの苛立ちと負納得の熱量をお持ちでご立腹されていましたが、目の前から消えてくれと思っている段階で、十分それは呪い(のろい)に通じる感情なんですね。
これを言うと大げさな!と思われることもあるかもしれませんが、(嫌いな人がいるという感情を否定をしているわけではありません。)思うだけでなら、まだセーフ。
私にその嫌いな人が目の前から消えるおまじないがあるか?と質問している段階で、これは十分に呪い(のろい)の領域になってしまうわけです。
この違いが判っていただけるでしょうか。
聴けば、嫌いな人は同じ会社の視界に入る存在だというのです。
日々の中で、この方は相手に憎しみを持ちつつ会社で過ごしているわけですから、拙堂でご提供しているまじないの人除けは全く作用しません。
拙堂では呪詛は特殊な作法になるので、原則やらないのです。
やるときには、依頼者ご本人にはしっかりと責を被っていただくことになります。
「その被りを覚悟します!」と宣言してきても、現実的にその現象が何かしら起きてしまったら、たいていの人は「なんでこんな目に遭うんですか!!!おかしいじゃないですか!!!」と怒鳴りこんでくるのが定番です(笑)
だからよほどのことでない限り、拙堂では呪詛に引っかかる内容はやらないのです。
ですから、私に呪(のろ)いの作法をやらせようと思っても無駄です。
他を当たってくださいとしか、言えません。
どんなに自分の講座や鑑定で有難くご依頼いただいていたとしても、関係ありません。
拙堂は「まじない」を「まじなう」のが生業ですので、悪しからず。