子孫繁栄に関して。

子孫繁栄に関して。

腹立たしいことがあったので、あらためて自身の確固たる意志を表明しておき記しておく。

嶽啓道における同性愛と同性婚に関しては全く否定はない。
しっかりと二人の間における大切なものが何たるかを分かちあっておればよいと思う。
これは私だけでなく、嶽啓道におけるすべての洞の主観であり価値観でもある。
そもそもに子供を産み育てることだけが子孫繁栄ではない。
子孫繁栄は子供を産み育てることであり、子供を産まない同性婚は認められないなどという宗教などなくなってしまえば良いとさえ思う。
過激的発言のように感じるかもしれないが、子供を産むことだけにフォーカスされた子孫繁栄など、あまりに迂闊で薄っぺらく短絡で浅はかだ。
社会はそれらすべてで成立などしていない。
多くの人たちが先人によって生かされ、育てられ、見守られてこれまでやってきている。
肉親のみが子供だった私たちを育てたわけではない。

批判批評はいくらでもあるだろうが、断固として私は主張しておく。

子孫繁栄は子供を産むことだけではない。
同性婚がすべての出生率をさげる、子供を産まない夫婦など認められないなどという阿保な脳みそを持ってる宗教輩はもう一度産道戻りをした方が良い。

本来の子孫繁栄というのは、子孫がこころよく過ごし、年齢性別・人様のために生きることを厭わず、こころまことに清く優しく生きて社会と繋がることである。
そしてそれらを先人となる目上年上のものが、子孫の生きる導となることを心掛け、心清く生きることを伝えることでもある。
なにも生むだけがすべてではない。
酸いも甘いも艱難辛苦と充足円満を経験体現し、そしてそれらの様々な事象の手本となることである。

人はどのようにあろうと、人として生き、死すのみ。
そこに多かろうが少なかろうが、人と繋がりが大切と思え、優しさと清らかさの元に健やかに命という心をつなげていくことが何よりもの子孫繁栄であると思う。

心のない子孫繁栄などありはしない。
産めや殖やせやの時代はとうに終わった。
何度でも言う。
心と愛があればこそ。子孫繁栄の力となる。

血肉の関係のみが子孫繁栄などのたまうは、片腹痛いわ。

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