前回の続きです。
「縁」そのもののお話は色んな分野の方が
色んなお話をしてくださっているので
ここでは割愛します。
きりん的、ばあさまたちの洞(ほら)のお話で
今回は進めていきます。
そもそも縁とは 「えにし」 です。
出会うというのは、縁あればこその出会い。
さまざまな人との繋がりや、物事の起承転結から
特定の人との出会いや、物事の出会いがあります。
ですので、特定の人物や物事だけの縁を切ることはできないのです。
その縁を切るということは、
その縁が来るまでの間の様々な縁さえも切り取るということ。
感覚感情としては、特定の縁に対して負の感情を持っているだけで
それに付随する部分に関しては、比較的、都合が良いことが多々あるのです。
ですが、人は勝手なので不都合だけを排除したい。
負の感情を作り上げたのは自分であるにも関わらず、
そこの原因や起因を全く無視して都合の良いものだけを残そうというのですから、
笑止千万なわけです。
縁切りをする場合、まず、自分の行いが招いたことを深く肚に入れない限り、
作法は総て、藻屑となるようにしあがっていきます。
そして一時的に縁が切れたように見えても、
己の行いの非を受け止めていないわけですから
当然のように同じことが繰り返されるという現実が待っているのです。
もう少し続けてみます。
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