不安は自分が作っている。

不安は自分が作っている。

不安というものを感じたことのない人はいないと思います。
その不安はひとつではなく、抱える人それぞれに感じるものは違っていて、
同時に、様々な不安を抱えながら、人は日々を生きていると言えます。
たとえば「生活不安」を一言で表現しても、感じる具体的な内容は一人一人違います。
そしてその不安に対してどんな風に心身に負担がかかっていてるかも一人一人違います。
同じような条件での不安であったとしても、その人自身の生きてきた成長の状態によって感じる度合いが違うのです。

そのうえで厳しくとも思うは、不安は誰かが作ったものではなく、自分自身が作り出しているということを忘れてはならないということです。

同じような不安に対してそれに囚われて身動きを止めて何かしらに依存している人もいれば、
不安だ不安だと言いつつも自分なりのやり方で自立している人もいるし、
不安の不の字さえも周囲には感じさせずに淡々と日々をこなして暮らしている人もいます。
どれが正解でもなく、どれが正義でもありません。善悪も幸不幸の差もありません。
そしてどの状態であっても、人は生きていくほかありません。
そのうえで、自分が胸を張って自分を生きている、と思えるかどうかというのが、人生の充足充満に繋がります。

不安を感じない人はいません。
不安は一生涯なくなることはないのです。
自分が不安とどう付き合うかだけなのです。
不安なことを不安だと言葉にするのもいいでしょう。
で、そこからあなたはどうしますか?というだけのことなのです。
占い師さんや身近な誰かに不安に対して心こぼしてもいいでしょう。
ですが、その不安を伝えた相手があなたの不安の全てを解消してくれることも解決してくれることもありません。
どんなにお金や何かしらの条件を他力で満たして与えてもらえたとしても、その与えてくれる人いなくなれば、やはり不安はやってくるのです。
なんなら、もらっているその瞬間から、与えてくれる人に対しての何かを不安に思うかもしれません。
どこまでいっても、不安を作り出すのは自分なのです。
そしてその不安は消えることはないけれども、精一杯、自分を生きることで人は共存するしかありません。

不安が消えることはありません。
だからこそ、上手く生きることも、完璧を目指す必要もありません。
器用に、要領よく、を考えなくても良いと思うのです。
時には誰かに不安な心をこぼしてもいい。
時には誰かに知恵を人力を借りればいい。

自分自身を生きられれば、それでいいのだと思います。

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