感情のコントロールについての手法をアレコレと聞かれる機会があります。
あくまでも拙堂にお越しになる方々に限りますので、
下記のことは非常に狭い認識によるものとご理解ください。
そして自分の脳内整理のためにアウトプットしている未完成な内容であることを容認していただけると幸いです。
拙堂でこの手の質問をする人たちの特徴は、
・自分ができていないことは把握している。
・理想のコントロールした状態の想像はできている。
・大枠で、どのように自分が振る舞えばよいか、どのように改善したらよいかをわかっている。
・他人は自分と違って、感情のコントロールがとてもよくできていると思っている。
・他人は自分以上に、感情のコントロールができていないと思っている。
・自分のできない環境・理由・意味は、成長期間における承認欲求が満たされていないからであると思っている。
・世界はすべて自分にとって理解されない存在ばかりである。
・何かしらの瞬間的解決の自己啓発的手法にこだわっている。
・自分のコントロール不可な状況は、何かしらの特別な影響によるものであると思っている。
・すべてにおいて、なんとなく、の把握。
・自分は自分のことをタイプ別などで分析できていると思っている。
・本来の自分の生きる場所が特別に用意されているはずである。
・過去世、前世における不協和音によるものである。
この特徴を複数所持している人との対話会話は、私にとっては非常に不得意で、平行線になることがほとんどです。
なぜなら、私自身がこれらの特徴を若い時に持っていたこともありますし、未だにこれらとの向き合いが大なり小なり続いているからともいえます。
引きの姿勢を取りながら、自分で折り合いつけつつ人と接していくことの難しさを感じつつ、それでいて自分におきる感情のコントロールを試行錯誤する日々です。
だからこそ、この特徴のある方がお越しになる時は、いつも以上に姿勢がこわばりもするし緊張もしているのですが、かといって跳ね返すというすぐの結論を出すのも違うと感じていますので、自分と向き合うようにその方々にもできる限りの向き合いを継続している状況です。
それにしても、脳内思考はは常にアレコレと動いております。
鳴り止まることがないので、なかなか厄介な気質です(笑)
追記)
この傾向のある人は、
他者とのコミュニケーションをとるパターンとして特徴があります。
モノコトを説明する際に、起きている事象や考えていることをそのまま言語化させることよりも、
その事象に起きている自分の感じていることや感情を訴えるほうが優先されてしまい、
事象の状況や状態を伝えるという行動が正しく相手に伝わりにくい状況になることが多いように感じます。
その行き違いがトラブルの大小を作っているようにも感じていますが、まだまだこのあたりは私自身も実地で検証中です。
また、
感情コントロールと、自己肯定感に拘る方は、無駄に期待感が強いように見えます。
思考の図式的にも、
話を聞いてくれる=受け入れてくれる=何を言っても良い=何をやっても良い=自分をなんとかしてくれる
が直結して一貫した期待を一方向に向けているように感じますね。