霊能者は短命?不運の末路?

霊能者は短命?不運の末路?

SNSでは定期的に

「霊能者は短命である」
「最後には独りで寂しく死ぬ」

という言葉が巡ってきます。
これには少々うんざりです。
霊能者の立ち位置や、能力をどのように使うかによっては確かに影響はあるでしょう。
そもそもに霊能者の能力とは五感の延長線上でしかなく、何かしらの心身欠落からくる補充された能力故の、であったりします。
五体満足に健康体で生まれてきたのか?途中の生き死にの極みによって発現したのか?
などなど様々な理由からその立場になった、特性を得たに過ぎないということです。
そういう意味でも、そもそもに短命前提の不具合があるともいえます。
あとは、その不具合のある身体をどのように使うかによって、長短は決まってくるでしょう。
祈祷者などにおいては、24時間365日をどのように感覚と身体を使っているかによっては、そのあれやこれやの消耗は当然でもあるし、
祈祷者そのもの暮らしが日常的に一般家庭のそれとは違うので、よほどの理解者がいない限りは共に生活をするというのは困難なのです。
そんな当然の暮らし方にもかかわらず、不運だとか不幸だとかを外から決めつけてもらいたくもない、というのが本音です。

ましてや、それなりの年齢になってくれば体のあちこちに不調が出て癌になったり、脳みそや血液の病気になったりもするものです。
それは霊能者に限らず、誰しもなっても不思議はないわけです。
そして、霊能者だからという理由でそれを特化して持ち出すのもいかがなものでしょう?
世の中、いろんな人が暮らしていて、いつの間にか隣の人が死んでましたなんてことはごく普通にある世の中です。
その人は一般的な職業から定年されて独居で孤独死してました。
なんでしたら、性格も悪く周囲環境との人々といつもぶつかっていて、誰からも嫌われ者で寂しい余生の末、死にました。
死んでから、その人は実はものすごい大病をしていたとか、死因は脳卒中でした、ということがわかりました。
現代ではよくあるどこにでもあるような話になっています。
さらに追い打つならば、家族に恵まれ資産にも恵まれたにも関わらず、苦しい苦しい闘病の上、
家族が自分の生前から死を前にした途端に遺産相続であれやこれやと嫌な思いをさせられて心底辛い、不幸だと言いながら死んだ。というのもあります。

結局、霊能者だろうが何だろうが、人間は死ぬ。ということだけ。
どんな死に方だろうが、結局人は死にます。
どんなに開運をしようとも、運の融通をしようとも、人は必ず死にます。
その死に方が寂しいのか、虚しいのか、不幸せと感じるのか、結局は死んだ本人にしかわからないことです。
他人が口を出して決めつけることじゃない。
残されたもの、生かされているものがまずは大切にするのは、どんな死んだ方であっても、
人であってもそうでなくても、思うのは一つ。

「ご冥福を祈る」

これに尽きる。と私は思うのです。
ついでにもう一つ思うのであれば、自分自身ができる限り真っ当に命を全うできるように尽力を誓うのみ。
でしょう。

いずれにしてもことさら何かみたいに取りあげるのもどうかと思うのです。
死に方に希望があったとしても、どんな生き方をしようとも、
その生き方の末にある死に方は、予想と予想外が常にあってどれがあっても受け入れるだけです。
文句あれこれ後悔あれこれ言うたところで、死にます。死ぬんです(笑)
だったら、少しでも人生寿命を懸命に生きて引き受けるだけです。

ちなみに、洞のばあちゃんたちは皆さま、身体に欠損がありながらも長命な方が多かったように思います。
もちろん短命な方もいましたが、少なくとも私がリアルで知ってるばあちゃんたちの多くは80歳越えでした。
結局のところ皆さん、どのような死に方であったとしても、少なくとも洞の中での私たちのつながりは、
生きているときも死んでからも変わらず、魂は常に共にありやがて私もまた肉が亡くなったときに再会できるというのがわかります。
やがてくる己の命の在り様をこれからも模索しながら私は命を使い切りたいと思う日々です。

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