お供えはお接待。

お供えはお接待。

神社仏閣でいただいた御札には、やっぱりお供えをしたほうがいいですか?
お供えには、お酒が良いですか?お水ですか?
お花とかやったほうがいいんでしょうか?
やっぱり毎日、般若心経を読まないとダメですか?
お米とか~~~

まぁまぁ処かまわずと聞かれやすい質問です。
そもそもにどうしてその御札やお守り、香合佛などを授与してもらおうと思いましたか?というお話になります。
何かしらご利益や見守りをして欲しくて、自分の都合でお迎えしているはずです。
状況状態によっては家族の一員として迎えているわけです。
家に来ていただくならお接待するのは当然のことであり、お供えという行動はあってしかるべきものです。

一般的にはペット以上に聞こえぬがゆえに、物言わぬ存在ですから、日常に追われて手抜かれることもあるでしょう。
ですがまず自分は、一日として飲み食いを欠かすことがないのです。
お呼びした神さまという存在に対して何も食べさせない、差し上げない、という選択が脳内にあるということがまずもってありえないのです。

これを言うと、ではやらなかったらバチが当たりますか?と聞いてくる人がいます。
一様に私は次のように答えます。

「バチはあてませんよ。ご接待がない状態が続けば、単純にそこからいなくなるだけです。」

御札という紙切れになるだけ。
ただ飾ってあるだけ、という状態。
そして何もしない人という刻印が残ることから、その後、
どのような場所から御札御守りを授与されても、何もしない家の人ということが周知されており、
家に持ち帰った瞬間にその刻印を見つけ、あっという間に皆さまご本山にお帰りになっていることがほとんどです。
もしくは、授与のやり取りをしている最中に、御霊抜けして空の状態で授与されるという現象さえ起きます。

と、ここまで書いていて思うのは、
そもそも、そもそも、なぜ他所様の御札のことも含め、私にこの質問をするんだろう?と
質問をしてくるときの顔に、所作に、腹の底が見えてしまう。
なんなら霊感などが無くてもおそらく透けてみえている腹の底です。

「やらずに済むようにしたい。」
「たまの気が向いた時だけで許してほしい。」
「置いておくだけで、ご利益はあってほしい。」

やれやれです。
最終的に私が答えているのは、

「お好きにしたらよろしいですよ。お水かな?と思えばお水でいいでしょう。
お酒かな?と思えば、お酒でしょう。
やっぱり毎日かな?と思うのであれば、毎日でしょう。」

何かしら特別に祈祷してもらっている祈願施主や修行者、私のような立場の人間は、
一定の規則や義務がありますのでお供えすることは当然の「やるべき」行動の選択です。

そうでない方々は、信仰という一つのカタチとして自分の日々の振る舞い行いとして、日々のことに追われて手抜きになったとしても、出来る範囲のお接待をされたら善いと思います。
出来ない(やりたくない)のであれば、最初から御札などを頂かないことです。

雑記カテゴリの最新記事