ネットニュースではとある方の離婚について様々な「ご意見」が飛んでおります。
ご結婚したときその後も「ご意見」が猛威を振るっておりました。
あまりこういうゴシップ的なことにはまったく意見を公では発言するほうではありませんが、このネットニュースを見て思い出すのは、ばあちゃんたちとのやり取りです。
子供ながらに聴いてた話と今がなるほどな、とあらためてリンクするのです。
自分のコトに誰もが何も責任を負わない。
他人(親兄姉弟妹含む)は所詮なのです。
自分が何かをしよう、やる、言うなどには必ず反対があったり、批評批判をしてくるし、なんなら念には念を入れるかのようにして、どうでもいいことにさえ、突き倒さないと気が済まないくらいにご指導ご鞭撻という名の誹謗中傷をしてきたり、己が正義を突き出し、土下座させる勢いまでの謝罪などを要求してくるやか、、人さえもいます。
そこに本人が傷つこうが、苦しもうが、なんならすべてに諦めようが、命を絶とうが、所詮は他人で何一つそこに責を負いません。
むしろ望み通りに本人がくじけたのをこれ幸いと胸をスカッとさせているか、真っ当な道に戻してあげたんだと言わんばかりに自己満足さえしていることもあります。
だからこそ、私たちは誰よりも自分を自分で守る必要があり、誰よりも自分の命と生き方を尊ぶ必要があります。
所詮の他人。
好きなだけ好きなことを言い、雑に扱い、やりたい放題なのです。
そしてそれは己の行動、言葉にも同じだけの威力があるのです。
どこに何に対して思いやりを持てるかどうか、そこに心の責任の姿という生き様が見えてくるのでしょう。
あらためてばあちゃんたちの言葉のひとつひとつを噛み砕くことに意味を感じている50代になってきたのだなと実感しています。
それにしても、渦中の方はなんともお気の毒なことでした。
一流の人だからこそ、行動選択も即決しているのでしょう。
そしてその即決が簡単でなかったことも十分に文面から伝わるというものです。
有名税などという意味不明な責を世間からこれ以上負わされることなく、ご自身と守りたい大切な方のための生活と暮らしが一日も早く戻って来られることを祈っております。