着地点のないご縁起。

着地点のないご縁起。

年末年始になるとメディア関係を含めて、さまざまな方面からの
「きりん堂お勧めの神社仏閣のご教示を」と言われます。
そして私がとてもお世話になっている神木探偵氏も同じようにご質問をもらうとか。
神木探偵氏は丁寧に対応をされているようですが、
私はここ最近は全て、どこなんでしょうねぇ~くらいの適当塩対応をしております(笑)
この手の質問はカジュアルに悪意なく聞いてきてるのでしょうし、
昨今に限らずの日本人特有の開運お気楽質問であるのはわかってはいても、聞かれる方は若干と、うんにゃりしております。
そもそもに本当にご利益をいただきたいのであれば、まずは地元の土地神さまとのつながりが重要です。
もしくは産土、もしくはこれまでの自分が縁(えにし/えんよりも濃い関係性)と感じたところが最適解です。
そしてそこにプラスαで何かしら、というのであれば、日頃の縁があるご祭神繋がりのネットワークを強化すること。
もしくは、そこから派生した神社仏閣であること。
がポイントになります。
まったく縁もゆかりもないところにお詣でしたところで、そこのご祭神が発してくだされた縁起を家の中に持ち帰る、もしくは運んでもらえる場がなければ、着地点無しで素通りしてしまうか、いいところ頭の上で少々滞留していただいても、結果降りるところがなくてお帰りされる、なんてことも多々あります。
しかも、持ち帰りをしたとしてもそこでちゃんとお祀りごとがされていなければ、これまた最初は着地点とみなされても、どんどんと薄まっていき、やがてそのご縁起やご眷属も知らず知らずにお帰りになってしまう、なんてことは山ほどあります。

欲しい、欲しい、ください、ください、と両手差し出しても、両手をいつまでも出した状態で過ごせるわけもありません。
両手で頂いても、どこかではそれらを下ろして日常を過ごさなくてはなりません。
下ろす先をきちんと決めておかなければ、「水のもの(一過性の祈願)」であればあるほど、器がしっかりとしていないと零れますし、漏れ沁みだして流れてしまうものです。
たとえ「おももの(固定的な祈願)」であれば、これまた器がおもものに合わせた造りであることが大切です。
それらの器の調えがないうちに、欲しい欲しい、くださいください、をやったところで、神社仏閣のおかげさまたちも渡し損です。
そのように渡したものを大切にしない人に、何度もチャンスをくれるはずもありません。
特にバチもあてやしません。
スルーされるのみです。
どんなに繰り返しお参りをしても、やはり同じこと。
器の調えがない限りは、お参りを喜んでいただけても、それで終わり。
期待されていない人には縁起は渡さずになって当然の流れです。

ということで、しっかりと着地点のひとつに拙堂のおかざりをぜひともゲットしてください。
という宣伝に繋がってしまうのが痛いですね。
とはいえ、ご自身の家の中の神棚やご祭壇、御札などをただのおかざりにするのか、ちゃんとおかざりさま、おやどりさま、おかげさま、に昇格させられるかどうかは、施主さまご自身の在り様ですよ、というのは伝えていきたいですね。

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