護摩紙垂作法2日目と修行の副産物

護摩紙垂作法2日目と修行の副産物

ゆったりと心地よくを観想しつつの作法となります。
歌うように読経して、柔らかく柔らかく真言を詠います。


早朝に修しました。
この数日の天候の不安定さは骨身に染みる部分もありますが、
作法直前というのは軋むほどに重さが乗っかります。
今回はいつもよりも人数多めに請け負合わせていただいているので、
重さはいつも以上に数段重ねで重いです(笑)

おそらく作法をお待ちしてくださっている方々の想いが背に乗るのでしょう。
ただ、これらは一切悪いことではなく、むしろ私的には有難く感じるのです。
この感覚を悪しきもの、宜しくないもの、としてとらえた瞬間、作法成立は一切見えなくなります。
もしくは成立させるのが非常にキツくなる。
悪しきものとしてとらえると、我が軽くなりたいための作法に脳みそのどこかが転換されてしまうわけですね。
これでは何のための護摩紙垂作法であるのか、根本が変わってしまうのです。
作法の心待ちにしてもらえるのは、期待されているともいえますが、その期待には一切応えるということもいたしません。
どちらかというと、やわらぎの場、成仏への箱舟を提供する、ご案内するというイメージです。
ただ、ご提供ご案内をするのです。

故人であれば、
蓮華を差し上げる、お見せする、ご案内するようなイメージ。
その蓮華に乗りたがらない時は、さらにそこにオヤツというお土産の甘いものを持たせてみます。
それでも乗りたがらない時は、今日は蓮華までの一歩を近づいてもらうようにそっと腰を押しておく、もしくはその方の霊氣を磨く感じです。
無理強いで乗せたりいたしません。
残り8日間ありますので、ごり押しなどいたしません。

生き人の場合であれば、
その人に絡みついているモヤのような蔓蔦のもつれを緩めるイメージです。
完全にはがしたりなどはいたしません。
もつれは本人が作ったものなので、勝手にはがして楽ちんにしてはなりません。
あくまでも最後のほどきは、本人の霊氣霊力、日頃の行いに任せるカタチです。
ただし、時には蔓蔦を千切ることはあります。
それは本人の所業とは違う不本意な宿濁血濁からくるものであったりしますので、そういう部分はできるだけ千切っておきます。
千切っておけば、あとは本人の肚の底が自然とそれらを蹴散らしてくれるので問題ありません。
その人の日頃の行いに後はお任せしておけば、ほぼほぼそれらは枯れます。

そういうイメージで作法を重ねていると、自然自然と時間が進むにつれていつの間にか、私自身の肉体に軋みを感じていた骨身がやわらぎます。
30分を越えて終わる頃にはスッキリと体のむくみも取れ、クスミも消えます(笑)
作法をさせていただく霊的な重みが取れただけでなく、
物理的に姿勢が中心へと持ち上げ、作法する体理氣(たいりき)のバランスから、筋肉が物理的に引き上げられて刺激を受けているのでしょう。
ちょっとした美筋トレに近い状態なのだと思います。
浮腫んでいた腰回りが一回りスッキリするので、ウェストのくびれもできるという副産物も生まれるわけです。

修行は辛いものだという前提をお持ちの方が多いのですが、それなりに楽しかったり、心地よかったりすることも多いのです。
こうして作法をさせていただくと、霊的な氣力も磨かれ、身体的にも良き緊張感を頂けるので朝ご飯はとてもおいしいです。
修行は苦しいよりも、心身の豊かさと健康を運んでくれる有難い時間となることがほとんどです。

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