幸福感の押し付け

幸福感の押し付け

“幸せだと思えません。どうやったら幸せがわかりますか?
幸せを感じられないわたしはダメなんですよね?”

あぁ、何度目だろう。この質問を受けるのは。
とある日の鑑定で、思わずと天を仰いでしまった午後。

こういった『幸せがわからない』系の質問鑑定が
立て続けに訪れたことでため息が出てしまった。

昨今のスピブームでは、いかに幸福感や多幸感を
その時その瞬間に感じられるようにお勧めしている。
そして、それができない人とというのは
まるで欠陥品、もしくは、侮蔑の対象となるほどに口撃を受けている。

よくある口撃では

『あなたのそれは本当の幸せじゃない』

と決めつける系だ。
わたしにすれば、
『あなたは何を言ってるんだ?』
なのです。

なぜならば、
幸せの感じ方はその人それぞれに在る。
幸せの在り方もひとりひとり違うものだし、
そのときのその人の状態環境によっては
観る場所から視れば、たしかに代替えだったり
至らない思い込みだったりするのかもしれない。

けれど、その状態の幸せでさえ、
その人の人生の中には必要なタイミングだったりする。

誰しもが同じような幸福感でないと、
それは幸せでないという決めつけさえも
それはとても身勝手な他人軸によるものだ。

そして、幸せを実感できないからといって
それは間違いでも、悪でもない。

ただ、そういう状態なのだろうってことだけ。
実感できないと言いつつも、人は幸せというものを
魂に必ず抱えて生まれてくる。

ただ、その幸せの感じるポイントは
ひとりひとり全く違うので、
どこにポイントがあるのかは自分で探すほかない。

他の人と同じポイントであるときは、
いろいろとノリがよくなったりするかもしれないが
それでもやっぱりその時その瞬間に感じる幸せは
あなただけのものだから
誰かとの共感はなくても大丈夫なのよ。

もし、誰かと同じ多幸感を味わいたいならば、
そのスイッチなり、ポイントなりが起動するように
日々の暮らし方を真似たりすることで
練習させていく必要があるだけ。
何が今日は言いたいか、というと、

別に幸せを感じなくても人は生きていける。
そして幸せを感じる瞬間は、
意外に時差があって訪れるなんてことはよくあることなので
今この瞬間で感じられなくても
罪悪感を持ったり、
卑屈になったり、
劣等感を持つ必要はまったくないよ。

ということ。
もっと気楽で大丈夫なんですよ。
幸せはいつでも後からやってくる。
それがいつの時のものであっても
感じられたらそれでよし。
なくても、それはそれで、やっぱりよし。

 

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