ばあさま・生きていくだけ。やっていくだけ。

ばあさま・生きていくだけ。やっていくだけ。

岳洞 はじまりどころの
ばあさまのことば

な~んも
特別なことなんか
ありゃぁせん。
たぁ~だ、息して、
食って、寝て、糞して、
働いて、笑って、泣いて、
そんで死ぬんじゃぁ。

ほんの少し前のこと。
身の回りには、ばあさまが たくさんいました。
血のつながりがあってもなくても、
その集落には様々な個性を持ったばあさまたちがいて、
その土地で健やかに人が住めるように
ばあさまたちは、その個性を使い協力し合って、
若い衆と言われる子孫たちのために尽力をしていのです。

尽力といっても、特別なことは何一つしていなくて
むしろ、日常をゆったりと丁寧にただ生きていた感じ。
その日常を見せることで、
若い衆へと生きることをつなげていたように思います。

わたしを継承者として短い期間で
徹底的に育ててくれたばあさまたちは、
この土地(熊本)に生まれていないから、
よその土地に住んでいるから、
子供だからとか、
色んな条件には一切こだわることはなく
わたしにすべてを見せてくれたのです。

それはただ、年長者が年少者へ
生きるための応援することや、
生きる術を伝えることだったり、
手本であることを実直に当たり前に
その在り方を疑うことなく行動しただけなのです。

生きることに意味や理由などは何一つ必要がなく、
ただ、ただ、人の関りの中に愛をもって
生きていくだけ。
死んでいくだけ。
ということなのでしょう。

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