《雑記》食事五観・一

《雑記》食事五観・一

一には功の多少を計り、彼の来所を量る。

ひとつにはこうのたしょうをはかり、
かのらいしょをはかる。

※恐山菩提寺さま配布紙より引用

このお米は八十八回と言われるほど大変な苦労を重ねてできたものであり、
この食前にあがるまでに沢山の人の手を経て今始めて戴けたことに先づ感謝する。

実際は八十八回どころではないことをこの漢字が教えてくれています。
無限に広がり、無限に影響をしあっていることを教えてくれています。
やってもらって当たり前、してもらって当たり前になりがちで、
食事だけでないモノモノが目の前に当然のように出てくる、手に入ると思っているところがありました。
動いてくれている方がいてこそのモノコトの運びだったことを思い出しました。
自分が動かない限りは、本当の意味でモノコト掴むことはできませんが、
それは動いてくれている人がいて、自分がそこへ身を運ぶという動きがマッチングしているからであったことを思い出しました。
そして自分が動くことによって、誰かしらのナニかになれているのでしょう。
動いてくれることに、自分も動き返す。
互いの動きが呼応しあうことが大切なんですよね。
感謝は互いを呼応させていればこその響き。

行動すること、行動してもらえることへの感謝を自分にも周囲にも置きなおしです。

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