「ありのまま、あるがままであること」
どうすれば手に入りますか?できるようになりますか?
と聞かれることが多々あるのですが、
私からすればそれらは手法でも技術でもなく、
そのままであることを受け入れる心や感性を養うことが重要だと思っています。
養うことこそが、あるがままを知るになるでしょうし、
感じ取れるようになり、自分がそのように立ち振る舞える行動に変化していくと考えます。
そして、何よりもそれに近づくために必要なのは、
「全てにおいて意味を持たせない」という前提をおくのもポイントかもしれません。
あるがまま、ありのままに対して、モノコトに意味は必要ないのです。
ただ状況としてある。状態としてそうなっている。
素直に受け入れてしまうことです。
なぜなら、自分の人生に起きるほとんどの出来事は自分の過去の引継ぎから起きていることです。
たとえ、そこに他者の何かが入ったとしても、
その他者との関係も自分が過去に作っているものだからです。
他者の要因に起きた事象事情でさえ、自分の過去からの継続の現象とみます。
ですから、そこに何かの意味を持たせたり意義を作ろうとしても無駄なのです。
あるがままでいるということは、決して楽になることではありません。
そのままの状態を全部引き受けていくということです。
自分の良いところも、悪いところも全部です。
あるがまま、ありのままでいるということは、
過去の自分がしでかした全てを引き受けること。
これからの自分のしでかすことも全て引き受ける覚悟を持つこと。
責任をもつということです。
責任をもつということは、自分を受け入れるということです。
どんなに認めたくない自分だったとしてもです。
意味を持たせても無駄だというのは、そういうことです。
思考や技法で都合よく自分に腑に落とさせる、もしくは、
片づけようとしても過去も現在も、起きていた起きてる現実は変わりません。
ですが、自分でそれらにどのような感情を持ち、どう受け止めなおすかによっては、
全ての引きずる感情や行動の選択に何かしらは変化するかもしれません。
何にでも意味を持たせたり、理由をつけても、
自責の人生が常に過去にも未来にもあることを忘れては、
結局のところの本当の意味でのあるがままも、
ありのままもないということだと私は感じ考えています。