通らない。通せない。

通らない。通せない。

以前、とあるお寺様からのご依頼で、住職のお仕事の関係上どうしても手入れできないゆえに、弟子に任せた講員さんの霊障についてのご意見含めたサポートを依頼されたことがありました。

住職が手入れできなかった理由はとてもシンプルで、
ご自身が抱えていらっしゃる修法の関係上、どうしても関われない。
住職のところのおかげ様が頑なに関わることを「さわるでない」と拒否されてる。
弟子には霊感がないため油断が生まれないとも限らない。諸々のためのフォロー。

の3点でした。
ただ、この電話で話している最中にも、拙堂のおかげ様は「これは通らぬぞ。通せぬぞ。」と私に言われるのですが、事情が事情ですのでお話を伺うことは伺いましょうと、お受けすることになったのです。

そして出先の帰り道にお弟子様とご一緒に施主様にお会いしてお話を伺えば、ご主人の仕事の取引先現場での霊障。
どれもこれも、なかなかにひどい有様で、久しぶりのホラーな土地の障りでした。
水も非常にかかわるずいぶんと古い霊障が湧き出て来てしょうがない。これはもう溢れる湧水を止めるなどできないという具合です。
様々あれどもこれまでにもその場所には人が住んだこともあり、問題の大小はありつつも現在に至り、なぜかこの時点では土留めが効かぬほどに溢れた状態です。
ほおっておいたら、死人がでてもおかしくない。困った困ったという具合だったのですが、土地の何かしらはここぞとばかしに霊氣を飛ばしてくるわ、何かしらの訴えというよりも暴れまくり。
お話を伺っている喫茶店の中での僅か30分程度の間にも、その霊障が周囲に小さくもバシバシとおこるわけです。
これ以上、話を聞き過ぎてもこの場所にも迷惑が掛かってしまうので、早々と話まとめに入ろうとしますが、拙堂の洞さまに伺いなおしをしても横を向いている状態で、頑なに目を閉じられています。
なんとか説得の上で、その中でも一番私に寄り添いいつもサポートしてくださるお柱さまのひとつが、困り顔しつつも、出来得る作法の中のひとつ、ふたつを応急処置的に伝授してはくれましたが、早々に手を引くことを言い渡されました。

「このモノ、道理にあらず。道理に在らざるモノには渡すものなし。されど、このモノに追随せざるを得ぬ弱気モノは護り与える価値あり。隠しの作法のみ伝法いたそう。
伝法後、有無なく子(私)は離れよ。子には手に負えぬ。我ら、コレを好まぬ。」

実際に私がお渡しした作法の後に、この方はお弟子様も苦慮されながらご対応されつつも、一定の先は祈祷は一切しておられませんでした。(お弟子様もそれなりの霊覚者であると思っています。)
住職が折り折りにご相談に乗りながらも、最終的には施主講員をお止めになったそうでしたが、1年ほどたったころに再度ご連絡があったそうです。

このご主人、仕事の受注においても道理の通らない不正ので手にしていたことが明るみになったことと、同時に施主様への不貞が限度を超えていたそうです。
住職からお弟子様にそれらのご報告が入り、私の耳にも入ることとなったのです。

詳細は書き控えますが、どちらのおかげ様も頷くはずもなく、洞さまの最も嫌う事情だっただけに、目も閉じなさるのは当たり前のことでした。
どんなに祈祷やまじないで願いをかなえたいと思ったとしても、何でもかんでも通らないのは当然なのです。
やはり人の道理の中にも不正を抱えれば、いずれは破綻して身を崩します。
道理の違う人と共にいれば、どんなに正当な理由を並べてもやはり共倒れになるとも限らないわけです。
ましてや、不正をする人というのは、自分の一番身近な人から裏切るような行動を平然とやってのけるわけですから困ったものです。

これに付随した別件の問題についてはまた記したいと思います。

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