鑑定しません。

鑑定しません。

土用にしてはならないことなどを列挙してお知らせをすると、
必ずと言っていいほど、SNS上のDMなどに連絡が入ります。
土用中に○○をするから大丈夫なように指導してほしい。
土用中に△△をするけれども、私の一存では止めれない。
自分の家族は大丈夫だろうか?と聞かれます。

常に私の回答はひとつで、

「わかりません。知りません。」

冷たいようですが、拙堂と全く縁のない人に唐突に聴かれても答える義務はありません。
同様に、たとえ土用作法をされている方だったとしても、
避けたほうがいい事案を実行される以上はこちらは何も言えないのです。
立場上、私はその行動選択そのものをノーとしているので、
その行動を選択する施主に対して何も言えない言わないというのが、立場のわきまえというものです。
どんなに何か別の方法として埋め合わせの相談をされたとしても、
鑑定をしてみないことには、埋め合わせできるとも、できないともいえませんし、
そもそもに現在の私は鑑定を一切しておりません。

土用の作法をするから、なんとかなりますよね?と聞かれても私には答えようがないのです。
施主の住まうその土地そのものがOKを出さない限り、私には何もできません。
そしてOKが出なかったからといって、おそらくほとんどの施主はその行動を止めることはありません。

人間は大変厚かましく、身勝手で傲慢です。そして時にさもしい。
私自身がそのように仕上がっているので、己自身にも常に言い聞かせています。
しょせん、人間はそんなもん。
だからこその日々の行い、日々の調え。

占術鑑定をしてもしなくても、人は最終的には自分たちにとって都合よく生きたいのです。
占術鑑定をしなくても、土地を敬う心を作ることも消すことも人間都合で適うのです。
占術鑑定をしないと育たない信仰であるならば、鑑定はいらないと私は思っています。

人生の大切な場面や状況に対して、占術鑑定を道具として使うことに否定はありません。
ですが、おかげさまを自分たちの都合に当てはめるだけの道具にするならば、それは否です。

だからこそ、私は何を持って鑑定とするか、慎重にこれからも取捨選択していきます。

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