霊能力があっても、霊能者であったとしても。

霊能力があっても、霊能者であったとしても。

霊能力開花を求められることが多々あります。
求められる理由にはいくつかあるようですが、
どれをとっても今現状の自分の人生に不満と不公平感から生まれているようです。

私自身、多少の霊能で色んなものが見えることもあります。
ですが、これらがあったからといって、
事前に厄災や疫病を回避できることはありませんでした。
過去のばあちゃんたちの様子を見ていても、同じです。
霊能力の程度はさまざまで、ピンキリです。
私は過去のばあちゃんたちの能力のレベルから見れば、
小童以前の未熟者で、未弱で、脆弱といえます。
そのくらいに、ばあちゃんたちの能力は素晴らしく高かった。
その素晴らしい霊能力とされるものを保有している人たちでさえ、
人生の苦渋、不満、不穏、不平、不幸、不運が常に何かしらあったと言えます。

今の人生の不幸不運に苦しみ、嘆き、辛みを大きく感じる方が多いとは思いますが、
霊能力を手に入れたからといって、それらは何一つ自分を幸せにしてくれる力にはならないでしょう。
それよりも、いかに人格を磨き、人との繋がりに思いやりを持ち、
自分と他者との間に吉凶善悪を作らずに、心ある思いと行動ができるかだと思うのです。

常に自分が被害者になる、搾取される、いじめられる、利用される、を気にしている人ほど、
他人を傷付け、それらの言葉を前に置いて逆に他責であったり、
さらにそれを上回る責任転嫁をし、意地悪な行動になっている人が散見します。
また自分を被害者に仕立てることで、周囲に何かしら厚意をもらうことを当然として立ち振る舞う人も見受けられます。
自らの甘えを越えた厚かましさ、がめつさを押し付けていたことにさえ気づかない、もしくはみようとしせず、
それら行動によって人が離れていることに気づかず、離れた人たちのことを悪く思い言い、また己を被害者にしていくのです。

結局のところ、霊能力があってもなくても、常に人はその人の人格、性質性格で人間関係が成立します。
どんなに霊能力があっても、一般的に言われる性格が悪い、意地が悪い人というのは嫌われます。
どんなに良い霊能者だとか、悪い霊能者だとか、定義づけをしたところで、
それは霊能者だからではなく、人としてどうなのか、でしかないと思うのです。
まずはどんな職業立場があったとしても、

人として、誠実に生きる。
人として、優しく人と共に生きる。
人として、助け合う。

これに尽きる気がします。

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