貫洞 きりどころのばあさまのことば
安心ちゅうもんは、
自分以外の人にもらったり、買ったりもできるけんど、
そげな瞬間湯沸かし器の安心なんぞ
ちーっとも芯から安心はくれんとよ。
自分の人生じゃ。
自分で泥水飲んでも、苦しんでも、
自分で掴んだ幸せは絶対に逃げんし
裏切らん。
自分の芯をば、しーっかり支えてくれっとよ。
安心が欲しけりゃ、自分の魂を信じろ。
信じられんのは、自分が作った後付けのせいじゃ。
なんぼ買っても満たされんは自分のせいじゃ。
めずらしく、この日のきりどころさまの口数が多かったのを思い出しました。
きりばあちゃんの言うように、このご時世に来て、ようやくと安心を買う時代は終わったんだろうなと思います。
もちろん、買って暮らしの安全が確保できる安心できるシステムや道具を確保することは重要です。
ここ数年のキラキラ系的な何某業というのは衰退し稼げることなくなりました。
また、それらに騙される人も減ってはきましたが、未だまだまだです。
人というのは私を含め、心弱いもので、何かしらの人生の折れがあるときというのは、どこかの何かに縋りたいと思うものです。
その部分をいかに律して、自分の芯をあたためなおして、耐えて、時間をかけてでも本音と行動を手に入れるほかないのでしょう。
そしてその努力を惜しむことなく踏ん張っている人には、必ず助けとなる人との繋がりが生まれるのだろうと思います。