喪は前に置かず。

喪は前に置かず。

この度の個展は12月1日~5日なのですが、
ご参加予定の数軒の施主さまから「喪中となりましたのでお祝い事には失礼になるかと思いますので…」とご連絡をいただいたのですが、
嶽啓道においては喪を理由に伺いのキャンセルやまじない作法のご遠慮などは無用としております。
『喪だから~しない』という前提がまずないのです。
というのも、嶽啓道においては全てがあるとして受入れる自然崇拝信仰なのです。
日常として生き死には当たり前にあり、どのようなカタチであっても魂には穢れ(汚れ)はなく、氣(霊氣)そのものに渇きや枯れ、ケカレがあるとします。
そして同居している肉親が亡くなった場合は、家の柱のひとつが折れたとし、とても脆い状態と見ます。
同居していない場合は、その亡くなった方との関係性により、心の柱が脆くなっていると考えます。
故に、そういうときほど嶽啓道の教えの中にある、おかげさまとの繋がりをより大切にし、互いに心通わせて安寧を祈念するのです。
また、亡くなった方自身も心柔らかにあの世に繋がれるように、おかげさまにその旨をお願いをしたり、生前の痛みや苦しみ、名残りを少しでも和らげていただけるよう助けを願い生と死の狭間の安寧を祈ります。
そして、その流れの中に今回の個展のような機会があれば、ぜひぜひお越しくださいとします。
脆さや隙間を埋める、癒す、補充補足する、などに適とするまじない符がたくさんと展示しておりますので、ご自身と亡くなられた命の方、そのおかげさまのために、ぜひ触れていただければと思うのです。

本来ならば、熊本のシマ、もしくは福岡県のあの山に洞が残っていれば、天護摩や水護摩などで薬にやわらぎにと火焚きの護摩をし、安寧作法にお誘いしたことでしょう。
喪は冥福です。
あの世の福を祈る機会でもあります。

現代宗教とも嶽啓道は手は繋いでおりますが、神道でも仏教でもありませんので「喪中」という前提はありません。
日々の中、人生の中で、当たり前にある出来事として捉えます。
それこそが嶽啓道のシンラ(理)の中にあるという祈りのひとつなのです。

もし、今回の個展にご来場予定の方の中でこのような喪に関しての心遣いをされる予定だった方々、お気になさらずにお越しください。
そして、少しでもご自身とご冥福の路へと進んだ方のお心、魂が柔らかになごみとやわらぎが調うようでしたら、ぜひともお越しください。
ただし、やはり沢山のご用件や気疲れでご体調不安等がある際は、ご遠慮なくお休みいただくことを何よりもご優先してくださいませ。

まずまずはと、皆さまと皆さまのおかげさまにお会いできることを何よりも楽しみにしております。

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