ご本人ではない「誰かのため祈祷」の依頼を受けることは多々あります。
一番多い祈祷では、「健康・病気平癒」、
次に多いのは、「合格祈願」です。
これは内容から察していただけるように、ご家族や血縁の方の何かしらで、その近しい方が祈願を依頼してくるのです。
そして実際に祈祷をして験が出やすいのも事実です。
ただし、血縁のない人がこの祈願をしても通りが難しいことも多々あります。
その理由はとても簡単な仕組みに成り立っています。
洞の考え方では、
「洞一、洞血、ワゴウナリ」
※ どういつ、どういち/同・当・統・等)
※ どうち、どうけつ/血・地・穴)
※ 和・輪/合・業・郷、鳴り・生り・成・為り・形・也
というものがあります。これは、
ひとつ同じ処にともにあるモノとは、血縁なくとも地と食、同衾がつながることより、
同じ血となり、血系(継/ちけい、けつけい)となるので、様々な宿業を副反応を共有していると考えます。
この流れがあるからこそ、親が子、伴侶のために、家族に付随する動物たちの祈祷が成り立つと考えるのです。
これらの考え方はとても範囲広く応用され、慶び・福徳も含め、宿業やモノコトの障りについても共有されることとなります。
日々の暮らしの中での行いを正すことは、己自身の幸いのみだけでなく近親者へも小さくともやがて大きく影響を及ぼすことになるのですね。
さらに、洞の祈祷者である者が行をする際は、己のみの行の意識をしているうちはそれは真の行ではなく、業の向き合いのみの業行と考えられており、
「己を取り巻く最小最近環境への影響までの調えを意識して行う」
を吉善当知として挑むことを仕込まれます。
これらを成し得て初めて、その先の環境・他者への祈祷が成立していくという考え方です。
一番身近な家族やペット、近親者を幸せにしておかずして祈祷・信仰成り立たずという前提になるのです。
洞そのものが絶えた理由にはいろいろな社会現象が大きく影響はしていますが、何よりも家族優先、心優先、幸せ優先の上で存在し、社会の流れに即していたからこそ、であると思っています。