七光り

七光り

親の七光りと、特定の若い方を
あ~だ、こ~だと論う方がいらっしゃいますが、
時にそれについてどう思うか、と問われることもありますが
常と答えるのは、

「親の七光り?よろしいことじゃないですか。
それだけ注目されることは、その道で生きていこうと思う方には十分役立つアイテムになるなら、結構なことですよ。
それに血筋や遺伝でその才の元があるならば、大いに使い倒し、果たされるのが宜しいですよ。」

本当にそう思っています。
その七光りといわれる若い方が一人前と呼ばれる頃には、
その素となる親も、親のことを覚えてる人も、あちらに逝かれていることがほとんどです。
そうなれば、その質の良し悪しはともかくとして、親の七光りと言われた方がオリジナルになっていたりするものです。
もっと言えば、さらに孫の世代で「七光り」を継承されているかもしれません。

私なんかもよく「親の七光りですね」といわれることがありますが、とんでもない、とんでもない。
親は何一つこの家業には携わっておりませんし、
私の場合は親でもなく、もっと目上となるタチの悪い
「くそ・ばば の七光り」ですよ。
 
おっと、「クソ婆の七光り」と漢字にしておかないと、
うっかり糞まみれの七光りになりますね(笑)
お食事中の方には大変失礼いたしました(深謝)
 
 
いずれにしても、 
人のことを何かと申している暇があったら、
ご自身を生き切ることに注目されたほうが余程充実すると思いますよ。

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